仕事を辞めることにした
はじめに
入社して2年目。社会人も2年目。そんなときに働いていた職場を退職することにした。企業名は伏せておくが、地方では名の知れた有名企業だ。先日、会長が95歳で亡くなった。職場に向かったときにユリの花の独特な匂いがした。掲示板にはデカデカと会長に対する追悼文がご家族によって書かれていた。会長を見たのは入社式と、研修後の駅前で出会った。遠くから歩いている姿は一般の人と変わらない。にこやかにこちらを見て笑う会長に「っ、あ、おつかれさまです」と恐れながら挨拶したことも記憶に新しい。周囲は「今の会長?!」「ヤバくない?!」と騒いでいた。ヤバかった。
そして、その会社で働いています。と言えば、大人たちは皆口を揃えて「大手だ」「すごいね」と言う。私の家系は母方の親戚では従兄弟と私が大卒で就職。父方の親戚は大卒がいない。それでも働いている。看護師の叔母もいるし、従姉妹は介護士だ。父親も定年前まではトラックの運転手だった。
正直プレッシャーだった。この親戚の中で私が一般の決まったレールに沿って歩いていることが。時折、高校を中退してもいいのでは?そもそも高校に通う時点で間違っているのでは?と考えてしまうこともあった。父方の親戚はみな破天荒で(ex.朝からビールを飲む、死ぬ間際まで甘いものを食べたかった)、そんな破天荒さに子どもの頃はなんとも思わなかった。それが普通だったからだ。
大学の時に親戚の話があったので、やんわりと親戚がちょっと破天荒な一面を伝えた。「普通じゃない」とバサり切られたときは、やっぱりなあとどこか納得している自分がいた。でもやっぱり普通だなと思ってしまうのは、最早生きてきた上での慣れなんだろう。
この記事ではそんな破天荒な親戚のことは一切関係ない。私がただ思い出しながら働いていたときのことをふりかえることにする。
辞める理由
上司によるパワハラとそれによる周囲との人間関係が上手くいかなかったから。復職しても周囲のサポートもまばらで、話しかける、意見を言うとみな機嫌が悪そうに対応した。申し訳ない気持ちで潰されそうだった。メンタリストじゃない限り、機嫌が悪い理由は分からない。また、当時は女性社員が少なくて、どうにか男性のノリについていこうとしたが上手くいかなかった。飲みの席で下ネタがぽろぽろ出てきて正直驚いたが、自分は何も知らないよ。聞いてないよ。というフリをしてお酒を煽ることが多かった。
あと働いていた時間より、休職期間が多かったから。復職して、揉めて、休職した。復職期間はまともに働いているつもりだった。環境に慣れるように、最初は短時間勤務でそのうちフルタイムの8時間勤務になるように働くつもりだった。
最初からクライマックス
本配属の店舗でジャブみたいな研修を終えて、別の県で3か月研修を受けて、そこから本配属店舗で働く。新入社員はみんな最初から出身地に近い店舗で。私は九州から九州に移動した。戻ってきたときに「浦島太郎ってこんな感じなんだな」と考えてしまった。すれ違う先輩社員たちが「おかえりなさい」「痩せた?」というのでとりあえず「アァ…ハヘヘ」と曖昧に返事をした。後に、上司にも言われた。「えらく痩せたね」と。それに対しては何故か苛立ちを覚えた。上司が男だっからという理由ではない。ケラケラと笑いながら言うもんなので、これもまた「アァ…自転車で…通勤してましたんで」と人見知り丸出しのオーラを出して返事をした。上司は「そこから余計な贅肉が取れたわけね」と言ったが、私は自分の辞書に贅肉という単語は存在しないので、一瞬面食らったが「……まあ、そうですね」と肯定した。返すとしたら「やだ〜私そんな太ってないですよ〜🥺」とでも言えば良かったのだろうか。ちなみに私は太ってないと自覚しているので、未だに根に持っている。高校時代にクラスメイトから「スタイルだけはいいよね」と言われたことを思い出した。歴史は繰り返す。
上司と初めて働くときに「俺みたいなおじさんより、若くてイケメンと働きたいだろ?」「俺はババアより、若い姉ちゃんと働きたい」と言われたことを思い出した。そういうことじゃない。とも言えず、初見でとんでもない事を言われたので「どうですかね?」と質問に質問で返した。私はただ、楽しく仕事がしたかった。思えばこれが私の仕事を辞める一番の理由かもしれない。上司を許す許さない、とかそういう問題ではなく、ただ人として合わなかったのだ。
上司とパートの意見交換
昼には自分の所属している課で、プチミーティングをしていた。今日はこういうことがありました。事故には気をつけるように。あと、○○という仕事ができていないです。やっといてね。これで終わればいいのだけども。実際はそうは行かない。今日出社しているメンバーを集めて、上司が言う。ベテランのパートさんが「でもね…○○さん(主任の名前)」と話を進める。そこで上司とパートさんの意見討論。ヤジ(応援)する他のパートさん。お腹が空いたので何も考えられない自分。
討論は長くて30分ほどだった。私も話すことはあったので、パートさんに合わせて意見を言う事もあった。サポーターみたいに。1回だけ「ちょっと静かにしてて」と上司から言われた。驚きのあまり目を見開いて、唇を噛んだ。上司が「何か言いたいことある?」と聞いてきたが、唇を噛んだまま「イウコトアリマセン」と返した。今思えばすこぶる態度が悪かった。私は盛り上げよう!とする意味で話に乗った訳じゃない。その日は黙って休憩に行った。こうした、上司VSベテランパートナーは時折発生した。私は毎回食べたい定食を食べれずに麺類をひたすら啜っていた。時にはカロリーメイトとモンスターエナジーで昼を済ませた。大人同士の仁義なき戦いを見ていると体力が奪われていくことが分かった。同期からは「今から休憩?」と驚かれることもあった。私だって13時から休憩したかったよ。
「仕事ができない」
私が、休職するきっかけになった言葉たちの一つである。上司に直接言われてしまい、これまた面食らった。「パートナーさんに言われてるけど、仕事ができないって」と、確かそんな風には言われた。これって、「私が仕事ができない」なのか「私がいることにより、自分の仕事ができない」なのかどっちなんだろうと改めて思う。前者であれ後者であれ、そう言われると、泣きそうになった。「俺らだってもっと言われているよ」と上司がフォローのつもりで言ったが、私はそこで人格を否定されたように思えた。が、同時に納得している自分もいた。分かる分かる、私、仕事できないもんね!と自責の日々が続いた。それが余計に自分の精神を蝕んでいることに気づかなかった。
職場内で起きたトラブル
職場はよく雨の影響で冠水する。冠水した場合は少し早めに出社しろという連絡が来た。私の職場に変わらず、小売業は例え雨が降ろうと槍が降ろうと絶対に出社しなければならないルールでもあるのか。「嫌です」という言葉を飲み込んで、少し早めに出社した。タイムカードも通して仕事をしたら、「早すぎ」と指摘されて「は?」と言いかけたが、それ以降雨が降ってもいつも通りの時間帯に来て、いつも通りの時間にタイムカードを通した。何度か上司に「早めに来てね」と言われたが、私はもう最初の時点で上司の印象が悪いので「分かりました」と言いながら言うことを聞かなかった。
一度だけ台風の影響で職場が停電した。暗くて何も分からない。万引きがあるかもしれないから、という理由で店内をうろついた。早めに閉めようという流れがいつの間にかできていて、お客さまをレジに誘導させている人もいた。停電中はちょうど、「北海道フェア」という北海道の有名な食べ物を提供するイベントの開催日だった。ほとんどが常温保存で対応できず、氷を利用して応急処置をした。氷を袋に入れている間に、後ろから「早くしろ」「何やってんだよ」と野次が飛んできた。全員社員である。「アハハ!ごめんなさい!」と能天気なフリをして氷を入れる。そんなこというなら手伝ってくれ、と思ったら耐えられなかった社員が「もういい、俺がやる」と私から作業を奪った。あなたタイムカード切ったんですよね?とも言えず。「あっ……」と役割が無くなった私はその場に突っ立ったままだった。気づけば野次を飛ばしてた社員が氷を入れている。私はただの約立たずになった。悔しくて泣いてしまった。誰も私が泣いてるところなんか見ていなかった。私たち小売業の社員が優先するのは商品と客だ。
私なんか嫌いな上司と商品の発注の相談したのに。まだタイムカード切ってないのに。ハロウィンの立ち上げで呆れられた。運ばれた荷物の整理するのが恐ろしく下手でバイトの人から「65点」と言われた。様々なことが思い出される。辛い。辞めよう。辞めてやろう。こんな職場。
おわりに
こうして私は休職し、一度の復職を経たが、上司と揉めたので仕事を辞めることにした。本当は、職場で全店舗1位の売り上げを何度か叩き出して辞めるつもりだった。……どのみち辞めることに変わりなかった。
同期とはそれとなく仲が良かったわけではなく、なあなあ関係だった。LINEはまだ残っている。何かを匂わせる発言をする同期に頑張れよ。と心の中で呟いて、私はLINEのBGMに米津玄師の新曲を入れた。
明日は最終出社日だ。