2024/5/25-2024/5/26 松江と岩国
中国地方
近いようで遠いのはいつの世も家族との距離だったりするわけだけれども、 中国地方という括りで見れば近く、ただ最北東なので割に遠いな。と思っているところ、 それが松江である。 前に家人とJRのすごろくで松江が当たり旅行に出かけてみたのだけれども、 岡山まで新幹線、そこから特急に乗り換えて、都合3~4時間くらいかかったような気がする。 途中で足立美術館に行ったので時間的な感覚は朧気である。
山陰の小京都
本日は山陰の小京都松江へGOである。 いつも通り、徳ちゃんのお迎えが11時頃に到着し出発。 松江までの道のりは検討した結果、高速使ってもそんなに時間変わらないし、 高速道路自体が高額だ。とのことで下道で行くことにした。 安佐南区、安佐北区を抜け、安芸高田市、吉田町をひた走る。 安佐南区はベッドタウンと言わんばかりの交通量の多さで辟易する。 バスやタクシーが縦横無尽に車線変更と停車を繰り返し、その度に小さい渋滞を生成する。 ま、なければ困るんだけどね。 安佐北区の橋を越えてしばらく進んで山手の道に差し掛かった辺りからようやく渋滞がなくなる。
勝手に心配
渋滞がなくなった辺りで「この辺りに住んでたら練習に行くのも大変じゃね。」という会話を始めると、 「そもそも会社勤めだったら通勤で毎日今日以上の渋滞を考慮して出勤しないといけないとなると、 かなり早い起床になるぞ。」みたいな考察を家人が始めていた。 バイカーのグループの後ろをたったかたったか走る。 途中でバイカーたちも消えた。 吉田町にまだVHSをレンタルしてるビデオ屋があると徳ちゃんが言っていて、 少し休憩がてら行ってみようか?とそのビデオ屋の駐車場に停めると、 目の端にやってるのかやっていないのか見た目では判別つきにくい中華料理屋があった。 あった。というか道沿いなので、見えてはいた。
名店発見
「よし」と思い、「ここで昼飯喰おうぜ」と言い入店。 本日の日替わりは黒炒飯とコロッケであった。 ま、誰も頼まなかったんだけどね。 850円のセットで台湾塩麺と麻婆丼をチョイス。 喰う。 めちゃ美味い。 台湾塩麺は前に行ったことのある台湾で喰ったような味わいであった。 ま、個人的に台湾と言えば八角であり、この塩麺にもいい感じに八角が効いてたので 「台湾!」って思っただけだと思うのだけれども。 麺も美味い。 次に麻婆丼にも手を出す。 これもめちゃ美味い。 甜面醤多めで甘さが前に来るけど、辛さもちゃんと後から効いてくる。 米と併せて喰うと、この甜面醤の甘さのしつこさが緩和されて結局は 食欲をそそるという感じであった。 麺も丼もほぼ一人前づつあり、料理が出てきた段階では「こりゃ食えるかな?」と 思っていたのだけれども、喰いはじめるとあっという間であった。 隣で海鮮焼きそばと炒飯のセットを頼んで同じように「喰えるかな?」と思っていたという徳ちゃんも 「う、美味い!」と言って全部食いきっていた。
ベンの感想
ベンは食った後の車中で「なぁ、俺は以前に吉田町で働いていたんだ。その時の職場の集まりなどは 安佐北区や安佐南区に行ってたんだぜ。しかもわざわざ移動したのに大して料理もお値段も良くはないんだ。 なぜ地元にこんな美味い店があるのに職場の連中はこの店を使わなかったんだ。おージーザスクライスト!」 みたいなことを言っていた。 家人はから揚げを喰っていたのだけれども「あの唐揚げはげんこつくらいデカかった。 デカい唐揚げはなかなか家では出来ないし、味も美味かったな。」と要は全員大満足の昼食になったのである。 飯を喰い、腹も太ったところで再度松江に向けて出発。
昼寝しながら
三次くらいで腹も一杯だったので昼寝。 年金暮らしの方々と同じような時間に起きて、同じような時間に眠くなる。 もう年金くれないかな。順番まで待ってたら少額or0になりそうだしね。年金。 このまま順調に推移すれば派手な泥棒国家になりそうだよね。日本。 ホームレス中学生みたいにNHKでいきなり時の首相が「日本はもう破綻しました。国民のみなさん、解散です。 これまで日本をご愛顧いただきありがとうございました。尚、いただいた税金、年金は私たち政治家の退職金とさせていただきます。あしからず。アデュー」とかなったら、ちゃんと暴動とか起こせるかな? 閑話休題
ばーさん、ごめんね
寝て起きたら飯南町の手前であった。 飯南町では手押し車を押しながら2車線を斜めに横断していた婆さんを轢きかけたもののセーフ。 横断歩道を渡ってほしいものだけれども、通常であれば2車線を斜めに横断していても安全なのであろう。 ばーさん、ごめんね。 まーちゃん、ごめんね。 そこからスムーズに松江に入る。9号線をひた走る。 途中で土地を贅沢に使ったスタバなどを見る。 ベンがスタバに行きたいと言っていたけれども当然無視。 松江につくと目的地はすぐに見つかったのだけれども聞いてた駐車場が見つからない。 それとなにやら周辺で祭りの準備をしているご様子である。 これは早めに車停めたほうがいいぞ。ということで、会場近くの100円パーキングに駐車。 そこから荷物を下ろして搬入。
到着そして挨拶
エレベーター無しの3階が会場だったので、キャビとヘッドを持ち込むバンドがいたら、 大変そうだな。と思ったのだけれども今日はそんなバンドはいなかった。 主催の中林君に早々に会い、簡単に挨拶。
昔ばなし
中林君は修道大学の同窓生である。 厳密に言うと僕は浪人して留年もしてるので、結果中林君は年下の先輩となる。 修道大学には当時ロック、ウェスタン、フォークソング、ハワイアン、軽音と何をどう分けたら そういうジャンルで振り分けになるのか分からない音楽サークルが存在していた。 僕はフォークソング部に入っていたのだけれども、これは誰かに「フォークはオリジナル曲をやるとこ、 ロックはコピー中心だよ。」と教えてもらったのでフォークソング部に入った。 そしたらフォークソング部は音楽サークルの中で鼻つまみもののような扱いであり、 そこに好んで入る人間たちも当然のように鼻つまみものであった。 御多聞に漏れず、僕も立派な鼻つまみものにすぐなれた。ま、元来素質があったのであろう。 そんな鼻つまみものの肥溜めから元来のコミュニケーション能力を発揮し、全てのサークルと仲良くなり、 挙句の果てにはレコード会社とも仲良くなり、プロミュージシャンになったバンドが僕の同期にはいる。 あれはまさに革命であった。 島に橋が架かった感じである。 そんな島に架かった橋を燃やすことまではしないものの決して渡ろうとしないバカ。 それが僕であった。
昔ばなし続き
中林君とは正直大学の頃に仲が良かったということはなかったと思う。 中林君が優しく手を指し伸ばそうともそれを払いのけることくらいは朝飯前の幼い知性、それが大学の頃の僕だったね。 いつごろ交流が生まれたのは定かではないけれども、中林君が前にやってた「なゆたのつぶて」との対バンがきっかけだと思う。 その頃は丁度同世代は人生の過渡期でバンドとかも辞めがちで結婚しがちで子ども作りがちで家建てがちの頃であった。 要はバンドなんてしてる場合じゃない時期である。 そんな人生の過渡期に同世代で同じ学校出身で生活のあれこれと折衝してバンドを続けている人がいる。っていうのが、 なんだかとても親近感が湧いたように思う。 僕はその頃、広島でスピーカーやヌイル、k、jailなど同世代でバンドしてる方々と繋がってたからいろいろ心強い部分はあったのだけれど、 中林君は周囲にそんなに同じマインドを持つ人がいない中で続けていたのかもしれない。 そう思うと、生粋のバンド狂いだな。と思うと共に崇高な精神性も感じる。 要は想いの強さを秘めている人なんだな。と思う。 閑話休題。
ベンよ
簡単に挨拶を済ませた後にリハ。 ベンのギターからノイズが出る。 ベンは問題があることを教えてくれるけれども、その解決法は人に丸投げする癖がある。 試行錯誤せずにすぐに回答を聞こうとする。悪い癖だ。 でもリハの時間も限られてるので解決法を探す。 ノイズの原因はオーバードライブのジャック個所のネジが緩んでいたことであった。 経験を積んで自分で解決できるようになればよいけれども、ベンの嫁が 「あいつはそういうやつだ。しょうがない。」と言っていたので多分これからも変わらないのであろう。
祭りへ
リハの後は祭りに参加。 祭りかと思っていたら夜市であった。 そして夕方なのに妙に寒かった。 見ると、かき氷の屋台の店主が寂しそうな顔をしていた。 多分夜市の終わりまで店主はあの顔で過ごすのであろう。と確信できるほどの寒さであった。 夜市で苺のスムージーとホットコーヒーを購入。 両方安くて美味であった。
イベントスタート
イベントは4バンドで18時からスタート。 ウサギは2番目。ノイズが出ていたベンのギターも問題なかったのだけれども、 結果、ベンの音が全然聞こえなったのでノイズが出てても出てなくても変わんなかったかも。と思った。 最終的にベンは自分の音が聞こえなくてアンプに近づこうとしてハウリングを鳴らし、 アンプに耳を近づけようとしてハウリングを鳴らしていたけれども、よく頑張った!ような気がする。 イベント途中でベースアンプが「ただの重量のある箱」になる。というハプニングがあったものの 順調に盛況で終了。
打ち上げ
打ち上げで連れて行ったもらった店が3000円で料理と呑み放題。 最初に出てきた刺身からして1人前1280円くらいの良い刺身であった。 次のローストビーフもちゃんとした肉でこの段階で魚と肉がいいんだから、何喰っても美味い店なんだな。と理解した。 その後の肉野菜炒めもタルタルがかかった唐揚げも美味かった。 ジンジャーハイボールもジュースみたいで呑みやすくて知らぬ間に酔いが廻っていた。 酔いにまかせて喋りたいことを喋っていた。
酔った中年は好きなことを言うよね
「お前、どの立場でモノを言うとるんじゃ」っていう発言もしてたと思うので、そんなこと言われたな。って人は 綺麗に忘れてください。 帰りは高速で帰宅。 もちろん知らぬ間に寝たのだけれども起きたら徳ちゃんが 「やっぱり高速は早いです。それと料金も安かったです。」と次回松江に行く際は 行きも帰りも高速を使ってもいい!ってくらいのテンションであった。 そうなったら、吉田町の台湾料理屋に行けないことだけが気がかりである。
日曜日
3時に寝て9時ごろに起床。 ちょっとウダウダして11時からやってる宇品の「いなり湯」へ 日曜の朝なんで…と思っていたら、朝から大盛況。 じいさん、じいさん、大学生、じいさん、大学生、和彫り、じいさん、じいさん、和彫り… って感じである。 早々に身体を洗う。身体を洗って髪を洗おうとした段階で今日もサウナ用の眼鏡を忘れたことに気づく。 身体洗って電気風呂に浸かり、肩を回す。 電気を肩にあてて肩を回してるとゴリゴリいってるコリがなくなる。 効果の時間は短いけれども、ちょっとリセット気味になるのは嬉しい。 肩を回してもゴリゴリいわないのを確認してサウナへ。
サウナへ
近くの銭湯のサウナより温度は低いのだけれども、こっちのほうが長くは入れない。 慣れなのかな?で、水風呂に浸かり、広島の銭湯にしては珍しくボーっとする用の椅子が設置してあるので、 そこで暫しボーっとする。 それを3回繰り返して終了。 いなり湯はドライヤーを無償で貸し出してくれるとこもいい。 ま、サウナ代が200円ってのは広島では高額の部類だけど、バスタオルがついてくるのと、 ドライヤー無料でチャラだな。と個人的には思っている。
岩国へ
銭湯から帰って一息ついてると徳ちゃんが迎えにきてくれたので、出発。 本日は岩国。 これもまた下道でGO。 宮島まではなかなか車が多い。渋滞ってほどではないけど車が多い。 宮島を超えると快適なドライブ!って思いきやまた途中から少し混む。 あんまり通らない道路なので、僕はずっと信長の野望の拠点を奪っていた。
すえひろへ
岩国到着後、即、家人と共にラーメンを喰いにいく。 むすびを2つをつけたら、むすびが思ってる1.5倍のサイズであった。 中に塩昆布と梅が入っていた。 ラーメン食ってリハ。 昨日の反省も活かし、ベンも今日はバッチリ…かと思いきや、 ベンとしてはそのエフェクターを踏んだら音が暴力的に尚且つ音量もグッと上がるというイメージが崩壊していた。そのエフェクターを踏んだら音が暴力的にはなるものの、音量がグッと下がって、暴力的なことは 暴力的なんだけれども4歳児同士の喧嘩みたいな音になっていた。 因みに音量を上げたらハウリングを起こすだけなので音量を上げることもできない。 どう解決するかと思いきや、ベンは困るだけであった。 なので、「もうそのエフェクターは今日は使うな。」と解決策を提示した。
ライブ!
イベントはウサギは最後。 なんか他のバンドの演奏が終わるとベンが「ウサギ負けたね」とわざわざ言いにくるので、 簀巻きにして瀬戸内海に沈めたい気持ちになったもののベンがいないとライブ出来ないので 「うるせー殴るぞ」と言葉だけに留めておいた。 なぜ「思うとけ!」って内容を伝えに来るのだろうか? 表現とは難しい?いや、簡単だ。 「あのバンド良かったね」って言えばいいだけである。そんなことを全く学べないのがベンである。
イベント終了
イベント終了後にelephantのみんなやノンフィクションのみんなと話して23時前に帰路につく。 0時過ぎに到着。疲れた身体と寝ぼけ眼が疲労の限界を示していたのだけれども、 ANTIHEROだけは…!と思って、ネトフリでANTIHERO観て就寝。
ANTIHEROを勝手に考察
勝手な想像として12年前の事件で一番許せないのは主人公自身なんだろうな。 だから、最終的には主人公自身が主人公自身に罰を与えて終わるんだろうな。と思っている。 最後の敵は野村萬斎ではない! 主人公の名前も明墨=黒だしね、と思いつつ他の事務所スタッフは全員色がついてる名字 (赤峰、白木、紫ノ宮、青山)なのに、なぜ主人公だけ黒という字を使わずに黒を彷彿させる名前になってるのか? は気になるとこですな。 あと桃瀬と緑川も色の名前だな。なんか関係あんのかな?
ウサギライブ