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実録。 離活日記「幸せになる為の離婚」  Vol.5 コロナ禍離活、そして調停へと臨む

息子が高校に通い始めたその年の暮れに差し掛かるところで中国での感染症のニュースが流れ、あっ!と言う間に全世界に拡まっていった。
日本でも年が明けて直ぐに最初の感染者が確認され、「いよいよ入ってきたか!」と思うもまだ何処か違う国の出来事の様に感じていたと思う。
私も当時はまだ普通に国内出張しており、マスクもしないで電車に普通に乗っていました。
そんな中、息子が高校の最初の春休みにクラスメイトと北海道旅行に行くという事で朝早い便という事もあり、私が途中息子の友達をピックアップしながら車で空港まで送る事となった。
空港までの途中で横浜ベイブリッジを渡っている際にあのダイアモンドプリンセス号が停泊しているのが見えたのを覚えています。
数泊の旅行から帰ってきた息子を空港まで迎えに行き、家に戻ってきたその翌日に息子が「具合が悪い」との事だったので熱を測ると38°越えの高熱だった。
とりあえず近所の医院で診てもらったが、「インフルエンザでは無く風邪をこじらせたのではないか」との事で解熱剤等を処方して頂いて家で休む事となった。
私も会社のルールで新型コロナでは無くても家族に高熱の者がいた場合は、会社への出社が許されないので息子の看病をしつつ、息子の症状が治るまで仕事を休む事となった。
パンデミック以前だったので恐らく新型コロナの判断基準もしっかりしていなかったのか違和感を持ちながらも「風邪」診断されたのを覚えています。

その際、念の為娘は妻側の両親の家で過ごす事とし、元妻は普通に仕事に通っていました。
数日後、息子の熱も下がり体力も戻ってきた為、様子を診つつ家で過ごしていました。
後から思ったのですが、息子が北海道旅行に行った前後で北海道で新型コロナ感染者が増えていたので、本人も後に話してましたが、息子も新型コロナに感染していたのでは思いました。
いずれにしても息子も完治出来ましたし、私にも感染する事がなかったので、その後のパンデミック状態を考えると本当に無事でよかったと思いました。

こんな感じで私の離活がコロナ禍に突入していきました。

Re-活 ・・・幸せになる為に・・・

そんな中、仕事の忙しさで気持ちを紛らわしていた頃、アメリカ留学時代の友人で現在、同じく同時期にアメリカ留学をしていて現在東京で民事専門の弁護士をしており、その弁護士事務所でアシスタントとして働いている友人に相談してみる事にしました。
ご存知の通り通常は弁護士に相談すると初回こそ「1時間相談料無料」とかで話しを聞いて頂けますが、事実確認と費用説明等で簡単に1時間は過ぎてしまうし、「本当にこの弁護士に任せられるか?」の判断する材料も集められないまま無料の相談時間が過ぎてしまうと思ったので先ずは知り合いに相談する事とした。

当然、友人の弁護士に直接相談すると費用が発生してしまうのでアシスタントの友人とその同僚で離婚経験のある人に雑談という形で話しを聞いてもらう事とした。

私の友人も離婚経験があり離婚に関しては慣れており、先ず最初に「良かったね〜」と優しく言ってくれて、それまでマイナス思考で捉えていた『離婚』に対して「子供の事も含めてお互い将来幸せになる為に離婚するんだからねぇ。」っと言ってくれた時に180°僕の離婚に対する考え方が変わった。

詳しくは、別投稿に記載しているのでそちらを読んで頂けたらと思います。

それ以来、離婚を前向きに捉える事が出来、子供達に対しても将来は必ず幸せにしてあげる事が出来るっと、その時は根拠は無いが明るく考える事が出来る様になった。

ただ、世間はコロナ禍に突入しているので大きな変化もないまま静かに時間だけが経過していった。

長期出張から帰ると・・・

コロナ禍で大打撃を受けている旅行業会を支援する為に打ち出された「Go To トラベル」クーポンの利用もあり停滞していたお客様の設備拡張も再会され始め長期出張の機会も増えてきました。
その年の5月の連休中に新潟県からの長期出張から戻ってきた私は、私の実家へのお土産を先ず私に帰って、実家から家に戻る際に「孫達に」っと言ってお寿司でもご馳走してあげてとお小遣いを渡され、それで子供達の好きなサーモンやマグロ系お寿司を持って家に戻ったところ、ダイニングテーブルの上に元妻の短い文章で書かれた「家を出ます。」とのメモ書きがあり、少し様子の違う家の雰囲気の原因を察する事となった。

それから1ヶ月程して地方裁判所から離婚調停の為の出頭命令が届いた。

ここから長期におよんだ調停、そして離婚裁判へと続いていく事となる。

つづく

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