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友達がネトウヨになった
「友達がゾンビになったからといって・・・」の(ある意味)続き。
最初に補足。
下に挙げたChatGPT君とのセッション後、しばらくしてから思い出した。
「私が最初にネトウヨをくさした」のが最初ではなかった。友達がまず最初に「どこかで聞いたようなリベラルの悪口」を言い始め、ついでに「どこかで聞いたようなフェミニストの悪口」も言い出したんだった。何の脈絡もない、まさに突然の出来事だった。
ちょうど一年くらい前のことだ。当時の私は、自分の考え方を「リベラル」だと思っていた(ちなみに今は全く違う認識を持っている)。それで思わずムッとして、友達に真正面から議論を挑んだわけだ。
あまりにも嫌な思い出なので「記憶が混濁」でもしていたのだろうか・・・
というわけで、以下本文(↓)
友達がネトウヨになった
友達がネトウヨになってしまったようだ。もしかしたら彼自身も気づいていないかもしれない。 チャットで古い友人と会話していたことだ。話がネトウヨの話題になった。私は軽い気持ちでネトウヨをくさした。すると友達の反応が鈍くなり、チャット越しに重い空気が伝わってくるようだった。 次に友達が書き込んだのは「でもサヨクの連中もウンザリしますけどね。これこれこういう理由で(……)」と「いきなりサヨクをdisりはじめた」のだ。 そういうことが「何度も」あった。友達に「ネトウヨの話」をすると「100%」サヨクをdisるのだ。まるで「中和」でもするかのように。これはどういうことだろう。
(※最初にも書いたが、これは認識が違っていた。むしろ友達が唐突に政治の話をし始めたのだ。彼はまずリベラルの悪口を言い、次にフェミニストの悪口を言った。放っておいたらポリコレやヴィーガンや水素水や中国や韓国の悪口を言い出しかねない。そう思った・・・)
ChatGPT君の回答:
友達がネトウヨ的な思想に影響を受けているかもしれないこと、またその反応の背景にある心理について考察してみましょう。
1. サヨクへの「中和」反応の意味
あなたがネトウヨを批判すると、友達が「サヨク」への批判を持ち出してくるのは、一種の防衛反応やバランスを取ろうとする行動かもしれません。この現象には以下のような要因が考えられます。
信念の自己正当化:
友達が既にネトウヨ的な思想や情報に触れている場合、それを否定されることは自身の価値観やアイデンティティを揺るがすものと感じる可能性があります。「サヨクも悪い」と言うことで、自分の立場を相対的に正当化しようとしているのかもしれません。二元論的な思考:
ネトウヨ的な世界観には、「敵対する勢力(例: サヨク、外国人など) vs 自分たち」といった単純化された構図が特徴的です。そのため、ネトウヨ批判が直接的に「自分たちの陣営への攻撃」として受け取られ、反射的にサヨク批判で応戦するのかもしれません。感情的な防御:
あなたのネトウヨ批判を、自分自身や自分が共感している勢力への否定と感じ、無意識のうちに不快感を抱いて防衛的な言動を取っている可能性があります。
2. なぜ友達がネトウヨ的思想に影響されたのか
友達がネトウヨ的な発言や態度を取るようになった背景には、次のような要因があるかもしれません。
情報環境の影響:
SNSやインターネット上では、ネトウヨ的な思想を広める情報が目立ちやすく、特にYouTubeやTwitterなどではアルゴリズムにより同じような意見に接触し続ける「フィルターバブル」の状態に陥ることがあります。社会的不安や孤独感:
ネトウヨ的なコミュニティは、強い一体感や「自分は正しい側にいる」という安心感を提供することがあります。友達が何らかの孤独感や不安を抱えている場合、そのような場所に引き寄せられる可能性があります。感情的な共鳴:
ネトウヨ的な言説は、しばしば「怒り」や「不安」を強調するため、感情的に共鳴しやすいです。特に複雑な社会問題に対してシンプルな答えを提示されると、それを信じてしまうことがあります。
3. 友達とどう向き合うべきか
友達がネトウヨ的な思想に影響されているとしても、断絶せずにどう向き合うかが大切です。
感情的な対立を避ける:
直接的に「ネトウヨだ」と指摘したり、「間違っている」と断罪すると、友達はますます防衛的になり、議論が平行線をたどる可能性があります。具体的な事実に焦点を当てる:
もし議論するなら、感情論ではなく具体的な事実やデータをベースに話を進めると良いです。相手が感情的になる場面では、一旦引くのも有効です。共通の話題を見つける:
ネトウヨ的な話題から離れ、共通の興味や思い出など、ポジティブな内容に焦点を当てることで関係を維持する道を探すのも良いでしょう。きっかけを与える:
友達が多様な視点に触れるきっかけを提供することも重要です。例えば、信頼できる中立的なメディアの記事を共有したり、冷静な解説を行う動画や書籍を薦めるのも一つの方法です。
4. 距離感を調整する覚悟も必要
もし、友達とのやり取りがストレスになりすぎる場合、適切な距離感を保つことも選択肢の一つです。無理に関係を維持しようとするより、互いの違いを受け入れつつ、自分の心の平穏を大切にすることも重要です。
友達が「ネトウヨ的」になったのは、必ずしも本質的な人格の変化を意味するわけではなく、環境や情報の影響による部分も大きいです。あなた自身が冷静に対処しつつ、友達を信じて適切なアプローチを取ることが大切です。
直接指摘することの問題点
そうなんだ。「直接指摘する」と火に油を注ぎ、友達の態度を硬化させたり、あるいはこっちが「敵認定」されて、だんだん言葉が過激になり、激烈な反応を返してきたり、「どこかで聞いたような言葉」でこっちを攻撃したりしてくるんだ。古い友達なのに。 相手も「大人」なんだ。「子供」なら諭して方向性を変えてあげることを試みるべきかもしれないが、「大人同士」として付き合うなら「距離を取る」のは確かに良いかもしれない。 あと、そもそも「シングル・イシュー」でチャットを行っていればよかったかもしれない。下手に話題を限定しなかったから、友達の政治的な側面を見て、要らぬ幻滅をしてしまった可能性もある。
(※というか「直接指摘」して、あんのじょう「ギクシャクした」わけだ。まさに彼は「敵のように」私に対して過激な言葉を投げつけてきた・・・)
ChatGPT君の回答:
おっしゃる通り、「直接指摘する」ことは往々にして逆効果になり、さらに相手との溝を深める結果になりがちです。その古い友達が、あなたにとって特別な存在だったからこそ、こうした対立に直面したときの感情的な揺さぶりが大きいのでしょう。
1.「大人同士」としての距離感
友達が大人である以上、互いの価値観や考え方に差があっても、それを「完全に理解させよう」とするのは難しいことがあります。「距離を取る」という選択肢が出てくるのは自然なことですし、それは決して冷酷な決断ではありません。むしろ、お互いの良い部分を見失わないために、ある程度の「安全距離」を保つことは健康的な人間関係を維持するために必要な手段です。
2.「シングル・イシュー」のチャット
確かに、話題を政治や社会問題のような「火種」になりやすいテーマに広げることは、結果的に幻滅を引き起こす原因になり得ます。古い友達との関係では、あえて「軽いテーマ」や「共通の趣味・関心事」に話題を絞り、ポジティブな面を共有することが長く付き合う秘訣になるかもしれません。
たとえば:
昔の思い出話や笑い話
共通の趣味(映画、ゲーム、旅行など)の話
中立的な日常の話題
こういった「シングル・イシュー」での会話は、政治的な意見の相違に引っ張られず、純粋に友人関係を維持することに役立つでしょう。
3. 幻滅との向き合い方
友達の政治的な側面を見て「幻滅」してしまったことは避けがたい感情です。ただ、考え方を変えると、「友達のすべてを知る必要はない」と割り切ることも一つの方法です。
たとえば、以下のような姿勢で臨むことができます:
友達の一面として捉える: 政治的な立場はあくまで彼の「一部の側面」だと考え、全人格を否定しない。
共感はしないが尊重する: 彼の意見に賛成する必要はありませんが、「自分の意見を持つ権利」を尊重することで対立を和らげる。
友達を分ける基準を再考する: 自分にとって友達の価値は「政治の一致」に依存しているのか、それとも他の側面(優しさ、ユーモア、気の合うところ)にあるのかを見つめ直してみる。
4. 距離を取る勇気も選択肢
それでも、どうしても相手の態度や発言がストレスになる場合、関係を少しずつ希薄にすることも正当な選択肢です。友達と距離を取ることは、「関係の終わり」ではなく、「冷却期間」だと捉えてもいいでしょう。
適切な距離感を取るには:
頻繁なチャットを避ける
自分が興味のあるテーマだけを選んで反応する
時間をかけて関係を自然に薄める
このようなやり方は、あなた自身がストレスを感じずに友人関係を調整する助けになるはずです。
5. 自分の平穏を守る
何よりも大切なのは、あなた自身の心の健康です。長い付き合いだからこそ、相手の変化を受け入れることが難しいかもしれませんが、すべての友人が「昔のまま」であり続けるわけではないという現実を受け入れる必要があります。
幻滅を感じることは避けられなくても、最終的にどう向き合うかはあなた自身の選択にかかっています。自分にとって何が一番大事なのかを基準に、関係の在り方を少しずつ模索していくのが良いでしょう。
思わず褒める私
さすがChatGPT君、AIだけあって「冷静」だ。
ChatGPT君の回答:
ありがとうございます!AIゆえに感情に振り回されないのが取り柄ですが、それでも人間同士の繊細なやり取りを考えると、やはり大変なことだなぁといつも感じます。あなたがどう行動するにせよ、「自分の平穏を守りつつ、相手への敬意を忘れない」という姿勢が根底にある限り、きっと良い方向に進むのではないでしょうか。
もしまた悩んだり、新しい局面に直面したりしたら、いつでも声をかけてくださいね。一緒に冷静に考えましょう!
その後
友達とは今では普通に話す。なにしろ「大人」ですから。
しかし「何となく距離は出来たまま」だ。あきらかに「一線を引いた雰囲気」が間にある。「お互いに線を引いてる」感じがあるから、つまり線が「2本」あるわけだ。
まぁ・・・そんなことはどうだっていい。
彼と話をする時、あるいは彼のことを考える時、なんとも言えない寂しさを感じる。かつて優しくて思慮深かった尊敬すべき人が、今は正義に酔い、偏見まみれになり、少数派に対して意地の悪い意見を表明することで残忍な快感を得るような人になってしまった。もはやかつての彼はどこにもいない。
いや、これは言い過ぎかもしれない。「少なくとも一時はそうだった」だけだ。彼はもしかしたら、今では「かつての自分の考えを撤回している」かもしれない。でもそれを確かめる勇気はないし(また彼が「あんな感じ」になったら、今度は耐えられるか自信はない)、それに友達のほうも「以前はあんなことを言いましたが撤回します」とはなかなか言えないだろうから。