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自己紹介

 (写真:陸上自衛隊HPより引用)
 自己紹介といっても何を紹介しようか。

 あまりに具体的すぎると守秘義務違反になりそうで怖いが、ネット等で散見される情報の範囲でなら問題は無いだろう。

 19〇〇年生まれ おっさん

 12年程勤めた陸上自衛隊を退職して、現在家業である小さな建設会社にいる。入隊が〇〇歳、退職が〇〇歳である。

 自衛隊では今は無き陸曹候補士として入隊、2◯歳で陸曹(軍曹的な 下士官)に、2◯歳で幹部任官、◯◯歳から零細土建屋の副社長である。

 具体的な勤務地は避けるが、九州に生息しており、たびたび出張(教育)で東海や東北などにも相当な期間行かせて頂いた。海外には行けなかった。残念

 自衛隊にいたが、私は本来臆病で、体力もなく、性根も腐っており且つ根性もないという体育会系とは真逆の人間である。

なお今もそのままである。残念
 
 さて、陸士時代は普通科(歩兵)隊員らしく小銃、機関銃や対戦車火器を手にゲロを吐きながら演習場でシごかれた。

 また中途入隊であったので同期とそりも合わずによくトラブルも起こしていた。

 耐えられたのは火器や兵器があまりにも好きだった、それだけの理由である。

 陸曹になる頃には体力・気力もまあまあ充実していた。

 仲間にも恵まれた。東日本大震災の災害派遣で自分自身の人生観がコロっと変わった。

 射撃が好きだったので狙撃手にならせて頂いた。射撃が好きだったので射撃の担当者になれた。

 射撃は特段上手くもなかった。

 列挙したが、私の陸曹時代の四年はこれに集約されるだろう。私という人間を形成したのはこの時期であるというのは過言ではあるまい。

 
↑(写真:陸上自衛隊HPより引用)ちなみにバーラップを照準眼鏡ごと巻いているが、精度低下の原因となる。

 そして幹部になる。といってもいきなりなる訳でなく、嫌々受験した昇進試験に不幸にも合格してしまい、2次試験も不幸にも合格してしまったのだ。
 
 内心任官はやぶさかでもなかったが、やはり周りの目や、任官に伴う長期出張(教育)、激務に不安を感じたのである。

 面接で断っても合格通知を送り付けてきたときは変な笑いが出た。給料は手取りで数千円だけ上がった。自衛隊はケチである。残念

 様々な教育(15カ月!!)を経て任官するが、この頃になると実家帰ってこいコールが凄く、帰省するのも憚られた。

 いよいよやむを得ないので上司に相談しつつ実質1年以上かけて退職

 そしていざ鎌倉と、故郷に帰り建設会社に入社

 ふたを開けてみれば、地方零細土建屋とはいえ、Aクラスの優良企業であった。とても恵まれていたといえよう。

 現場経験も何もないのに副社長という破格の待遇は、色々なフラグが立っているが、、

 その与えられた職務内容はバックオフィス含め広範多岐にわたり、まさに陸自の何でも屋である普通科隊員うってつけの内容であった。

 「管理」とはマネジメント(まんまやんけ)であるが、人・モノ・金の管理を一挙に任せられたのである。いきなり。

 そんなおっさんです。

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