私を幸せにするということ
私は私を幸せにしようと思いました。
時々、「人の幸せを見るためにSNSやってる訳じゃないんだけど」と思うことがあります。
とっても仲良しの友達の彼氏との投稿とか、旅行とかはいいねを何回押してもキリがないけど、
そこそこの仲の人のそういう幸せ投稿とか見ると
「ふ〜〜ん」
という自分の中で邪悪な人格が出てきちゃう
これは、自分がそうじゃないからだと思います
大人数で合宿に行くようなサークルにも属してないし
恋人はいないし
親が超お金持ちでお高めなレストランに行くこともないし
でも今の状況が「不幸」だとは思いません
「幸せ」!とも言い切れないけど、あえて明文化するなら「普通」
もう少し自分に幸せを感じさせてあげたいな、という次第
少し前に、キム・スリョンさんの『わたしはわたしのままで生きることにした』の日本語訳を読みました
今まで、「ありのまま」「自分らしく」という言葉が腑に落ちなかったことが多い人生でした
世間のいう「ありのまま」って「着飾らない」「他人に頼らない」「世間に流されない」というイメージが多かったから
メイクやヘアで着飾ることが好きで、流行のファッションが好きで、特に個性的な趣味のない私は否定されているような気がしていました。
本の細かい言葉は、本を図書館に返却してしまったので思い出せません
しかし、「わたしのまま」の価値観をアップデートできた気がします
「わたしのまま」とは他人の思考に邪魔されないように生きること
私が上記で述べた世間のありのままのイメージさえも他人に思考を侵略されているから感じてしまった不和だとわかりました
そこで、幸せとは何かもう一度考えてみる
幸せは自分の好きなことに密接していると思う
私の好きなこと、
女の子らしいお洋服、キラキラのメイク、
キラキラのアイドル
美味しいご飯を食べること、お菓子作り、カフェ巡り
いい景色を見ること、美術館に行くこと、本を読むこと
…これは全部自分でしてあげられること
賢く生きるために「人に期待しない」というのを目にしたことがある
でも私は、人に期待することはそれほど悪いことではないと思う
自分が望めば何か行動してくれる、自分のために何かしてくれる
人に対してそんな風に思えるのって自己肯定感の現れじゃないかな
でも期待して、空想するから、実現しなかった時に落胆する、悲しくなる
せっかくの自己肯定感が自分を傷つけることのないように
私が人に望むものをまず自分でやってあげる
自分で希望の100%まで持っていけば、人にやってもらった時に120%の喜びになる
そんな風に思います
だから、自分が好きなものを恋人や友達がくれたら嬉しいけど、
自分で自分にプレゼントしてあげる
私が私を幸せにすることは、世間の「ありのまま」や「自分らしく」に振り回されないで自分の好きに触れさせあげること
振り返った時に後悔が残るような生活にしないこと
…なのではないかなと
大学生活も残り一年半、卒業した後に何もなかったと後悔したくない
自分の好きにたくさん触れられる日々にする
Noteをしばらくサボっていたけど、活字を読んだり、言葉を紡ぐことも好きです
Noteという自分の文章が公開される場所で文字を書くことで
文章が精巧になるかな、と
少しずつ再開していきます。