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Epilogue, Coda, Happy End, Sayonara

『Ryuichi Sakamoto | Opus』
坂本龍一(以下、教授)がスタジオ収録で行った最後のピアノソロコンサートが映画作品となって今年の春に映画館で公開されていたけれど、先日その音源全てが配信リリースされた(円盤は12月)。
そのコンサート映像は『Ryuichi Sakamoto: Playing the Piano 2022』(全20曲中13曲)として配信された時に観ていて、病魔におかされた教授の姿はショックではあったけれど、まさに命を削るような渾身の演奏に言葉を失いながらも、まだ亡くなる前だったので、何とか観ることは出来た。
ただ、死後にあらためて観るということは、今のわたしにとっては辛く、結局その映画のほうは観に行くことが出来なかったのだ。
そもそも、終わったことを突きつけられるのが怖いのか、あれ以来教授の音楽をあまり聴いていなかった。
もはや同じ時を過ごすことは出来ないということ、そして終わらない映画は無いということ、理解はしているけれど、教授という映画は、果たして本当に終わったのだろうか。

教授はわたしが最も影響を受けた音楽家だ。
人は10代の頃に出会って強く深く影響を受けた音楽を一生追い続けるものだという話しを聞いたことがある。
確かに、教授自身の音楽はもちろんのこと、教授から教わった音楽は古今東西に及び数多にあり、それらは今もわたしの財産となっている。
それに、音楽には境界線などというものは無く、自由だということも教わった。
だから、わたしの中で新しい音楽が更に別の新しい音楽との出会いに繋がっていき、わたしの中に音楽の世界は広がっていった。
しかし、音楽を信じて愛し続ける努力をサボりがちになると、音楽を見失い、迷子となって彷徨うこともある。
音楽を信じるということは自分を信じるということでもあると、教授からは教わったような気がする。
まだ希望はあると思っていたい。
音楽は終わらない。

『Aqua』
コンサートで最後に演奏されることが多く、教授は「(これをやらないと)みんな帰ってくれないから(笑)」とよく言っていた追い出し曲だ(笑)。
追い出されたからには、外へと進まなければならない。


それから教授のことは活動家(例えば森林保全団体の「more trees」)としても尊敬していたけれど、あまりにも多岐にわたるため、ここでは割愛する。

『walker』
“音を楽しむ”達人の教授は、きっと今も木々の音を聴きながら森の中を歩いていると思う。


『sweet revenge』
教授のアルバムはもちろん全て好きなので、無人島に持って行くなら的な1枚だけ選ぶというようなことは無理なのだけれど、何かテーマがあり、例えば今の季節、夏に合うものということであれば、これになるだろうか。
レゲエやボサノヴァがあったり、サウンドが涼しげだったりするということもそうだけれど、これは1994年6月に発売され、その夏の間ずっと聴いていたので、夏のイメージなのだ。

もう30年も前の作品になるけれど、古びた感じがしないと思うのは、わたしの時が止まっているということなのかもしれない。
しかし、ボカロの影響で言葉数が多くなりテンポが早くなった音楽に慣れたタイパ重視の人たちに、こうした教授の音楽はどのように響くのだろうか。

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