透析中止で死亡は本当に不幸だったの?
透析中止で死亡したニュースが話題になりました。
「生きたかったのに死んでしまって不幸だ」というのが一般的な意見のようですが、本当にそうなのでしょうか。
先日noteに書いたとおり、「死にたい気持ち」にはムラがあります。昨日はすごく死にたかったのに、今日は別に生きててもいいやーと考えてたりして、一貫していません。
ですので、透析中止を自ら選んだ患者さんも、すごく死にたい時に中止を決定。その後、死ぬ気がなくなってきて生きようと思った。けど、手遅れで亡くなってしまった。
もし、この患者さんが生きていたとしても、死にたい→生きててもいいや→死にたい→生きててもいいやというループを繰り返していたと思います。
死にたい理由は人それぞれですが、自殺した人の理由第一位は、健康の問題だそうです。
不治の病で、この先もずっとたくさんお金を使って透析を続ける人生なのかと考えると、絶望的な気持ちになります。
将来のことを考えているときが一番死にたくなります。自殺を考える人って大体悲観的だから、この先、生きてても苦しいだけだからいっそのこと死んでしまった方がいいと考えるんです。
私自身、過去に一度、本気で死ぬつもりで自殺未遂しましたが、結局生きてしまいました。
今現在、考えることは「あの時死んでいればよかった」というものです。
自分の体験を透析中止の患者さんに重ねて考えると、本当に不幸だったのかな?と疑問を抱いてしまうのです。
死にたい気持ちなんて家族にも打ち明けることができませんし、生きたほうが良かったのか死んで良かったのか、真実は本人しかわからないでしょうね。
ちょっと不謹慎なnoteかもしれません。不快になられた方にはお詫び申し上げます。ただ、うつ病や耳管開放症などで苦しんでいる私は「うらやましい」というのが本音です。
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