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ウイバナ考 番外編2 エントロピース

なんとも手の込んだエイプリルフールのジョークだ。聞けばほかの楽曲と同じくらいコストをかけたとか。ファンのためにここまで趣向を凝らしてくれたのはありがたいことだ。ただただ笑うしかない。🤣

ジョークに解釈を加えるというのは野暮の極みではあるが、頭の中がこの歌でヘビロテなのである。ガス抜きをせざるを得ないし、サキマルさんに「曲の感想を書いてもらってうれしい」と、社交辞令を言われていい気になっている。その勢いで思いを垂れ流そう。

あくまでドシロウトの個人的感想です。

タイトルの「エントロピース」ググったが出てこない。サキマルさんに確かめたところ、やはり熱力学で出ている物理量“エントロピー“と“ピース”の合成語とのこと。「やっぱりかわいいと言われたい」で熱力学が出てくるとは!

エントロピーについてはとても思い入れがある。高校生だったころ、ジェミリー・リフキンの「エントロピーの法則」という本の日本語訳が全国的に話題になったのだ。「宇宙は無秩序に向かっている」という真実に、自らの寿命からして関係ないのだが、真剣に未来を憂えたものだった。このブームは1980年代。当然ジツカワさんは生まれてもいないだろう。昭和の香りがする「青春ソング」というテーマといい、ジツカワさんはいったい人生何回目なんだろう?

さて、初花のように落ちサビ(?)からはじまる。いきなり難問。

ピース × ピースでつながる宇宙法則

この“宇宙法則”が”チュール”としか聞こえない。チュール?宇宙法則を”チュール”というのか?たいていそういう意訳はルビをふるのだが老眼のせいか見当たらない。でもそう言っている。最後のサビは、
"チュッチュルルー"と歌っているから間違いない。

チュールといえばドッグフードしか知らない。
ググると生地の種類(tulle)とある。これは違う。宇宙法則はcosimic lawとかlaw of universeなど。チュールらしきものは出てこない。
フランス語のaventureなとに使われてるラテン語のture(行為)だろうか。一番近いのはなんとマオリ語で“法”の意味だとのこと。マオリ語まで知っているとは作詞者はただ者ではない。Σ┏(_□_;)┓!!!

1Aメロでは軽くエントロピーに関する熱力学第2法則の説明。彼が目移りしている→恋愛の秩序が乱れていくことになぞらえている。そしてBメロでいわゆる恋愛の”不可逆過程”を唱える。

このBメロのハモりが今までの曲より厚くてとてもいい。カラオケを聴かないとどれくらいかぶせているかわからないけれど、ほとんどコーラスといっていいくらいだ。

そしてサビ。Bメロのコーラスを引っ張って、ユニゾンがまた厚い。ふだんからユニゾンは不動の迫力をもつウイバナだが、ロックチューンとはひと味違う魅力に引きつけられた。
自分の恋運命は、無秩序に向かう宇宙の法則に逆らうほど強固だと歌い上げる。
サウジアラビア遠征の際に呼びかけられた”ウイバナでピース”。なんでピースなのか、この曲でわかった。
”ピース×ピースでつながる宇宙法則”
メンバーがペアになってピースを並べてウイバナの”W" を作るフリはなかなか上手いことを考えたものだと感心した。

2番も特に変則せずにAメロ、Bメロ、サビと進んでいく。Aメロで歌われる「オシャレ」や「いちばん」と言われたい、というのはHoney Works流の「アイドル裏事情」を少しお姉さん風に吐露にした風情。普通の恋愛で今や女子は異性のためにオシャレをしない。「男ウケわるいオシャレ」ワースト2を飾る「カラコン」と「ネイル」に女子は夢中になっているのが証左である。アイドル以外の女子は自分のため、「自己愛」のためにオシャレをしているのである。そして普通の恋愛なら「1番」はもちろんだし、自分が1番でも「2番以下」が存在することを許すはずがない。

1番と同様のサビの後、Cメロ。高音に定評のあるシグマさんからはじまるが、この音域での彼女の歌は新鮮だった。

エイプリルフールとともにツイッターで公開された音源を聞いたときは平凡に聞こえたが、ライブで聴いて納得、十分「あり」だと思った。これまでの路線とはもちろん違うが、セットリストにこれが混ざったからといってストーリーが壊れることはないと思う。ウイバナはほんのちょっとした、一瞬のパフォーマンス、ダンスのシンクロ、ターン、歌のハーモニーやソロパートの力でステージの流れをグッと変えることができるグループだ。だからどんな方向にモメンタムを持っていってもガラっと別の方向にいとも簡単に観客を向かせることができる。だから従来曲とも共存できると思う。

今後もこのようなポップ調の曲をやるとするならば、今回よりさらに「新しい音」と個性のある曲を追求しなくてはいけないと思う。今回もコーラスやシグマさんの今までにない声を盛り込むことができている。だが、サキマルさんの力を表現し切れていない。
サキマルさんはウイバナそのものとも言える。「青春」というメッセージをエモーショナルに、ドラマチックに歌い上げたり、ロックチューンでパワフルに歌わせると絶品、唯一無二である。曲そのものが新しくなくてもサキマルさんが歌い上げることで今までにない「新しい音楽」になり、「ウイバナの曲」になる。サキマルさんの歌はライトでポップな曲でも他にはない魔法をかけらるはずである。それを引き出す楽曲ができれば、エイプリルフールのジョークではなく、本当に路線変更できるし、既存曲とも共存できると思う。

さて、前回記事でも述べたように、私は推し活をしつつ、女性のあり方を考察している。だから今回の「結局かわいいと言われたい」はただのジョークなのか、それとも本当の願望なのかが検討事項である。結論は出ないが、仮説を立てるならジョークの域は出ないと思う。
アイドルとしてもっと成功(成功の意味も難しいところではあるが)することはほぼ間違いなく願望としてあると思う。「かわいい」と言われる存在であるとその成功に有利である、1つの要素として言っているに過ぎないと思う。かわいさで評価されるアイドルに特化したいとは思っていないだろう。アイドルとしてはより多くの観衆と共感できる場を作れれば、どんな要素でも構わないと考えているはずだ。
前述したように「かわいい」は自己愛の世界だ。自分の美的センスの充足のためにやっていて、他者の入り込む隙間がない。美容整形もそうだが、ややもすると周りがやり過ぎと思えるところまで暴走してしまう。最近の涙袋(恐らく下眼瞼隆起?)形成とカラコンで漫画のような滑稽なメイクにまで暴走しているアイドルを散見するようになった。なかなかファンから指摘するのは難しい。
ライブでサキマルさんが「レスを送ったりするのちょっと恥ずかしいね」とMCで話していた。サキマルさんはツイッターの動画などでも挑発的な表情を面白おかしく載せていたが、その彼女ですらそうだとすると、やはりかわいさで自己評価を求めようとは考えていなかったと思われる。

「アイドル冬の時代」と言われ、生き残りをかけて秋元康からはじまった「王道回帰」。新型コロナウイルス感染症による影響で追い打ちをかけられ、ライブアイドルも新しく生まれるのは顔面偏差値重視の王道アイドル、いわゆる「かわいい」を売り物にするグループばかりだ(「かわいい」が「王道」なのかどうかはとりあえず検討せず、この前提で話を進める)。

対バンのフライヤーをみるとどれも似たり寄ったり。モノトーンで黒髪の大人しそうな乃木坂のコピーのような「清楚系」が精錬に舞うか、メンバーカラーをあしらった原色〜パステル系の明るい衣装を着た「元気系」がワチャワチャソングを歌う。メンバーそのものは結構個性的でパフォーマンスも優れているひとが散見されるだけに、安易な「王道回帰」はとても残念である。

既存のグループもコンセプトを「王道」に変えるところが出てきている。よりによって私のイチオシアイドルだったステラリオンはダンス重視の実力派を目指してオーディションされたが、デビューして1か月で路線変更、メンバーを入れ換えて今に至る。私の推しは卒業させられてしまった。
そしてもっとも好きだったグループ、未完成リップスパークルはメンバーは一人加えただけだが、名前をNoelliLにあらため、ワチャワチャソングばかり新曲を並べている。”恐るべき”とも言えるスキルが余ってしまっている。あんな単調な曲だけでは彼女たちの凄さを表現しきれない。彼女たちもウイバナ同様、一瞬のパフォーマンスでステージを一変させる力があるので、従来曲をベースにすることもできるが、かつてのアンセムを含む、エモーショナル系の曲はもうやらないとのことだ。
「王道回帰」は私のもっとも愛したアイドルを2つも奪ってしまった。

「元気系」アイドルは女子が表現したい、女子が憧れたかわいさを追求しているだけまだいい。男好みの女性像で作り上げられた「清楚系」はいかがなものか?と首を傾げる。昨今問題となっているlookismやfeminismと真っ向から対立する。「道徳よりも売れなければ話しにならない」というのは確かかもしれない。しかし、これらを無視していたことで、アイドルが精神の健康を失ってしまったり、想像と現実の区別がつかないファンに身体的、精神的に傷つけられる事例があとを経たない原因にもなっている。
そして仮に「売れた」としても、その後メンバーの生活を成り立たせる糧に繋げられるのか?

「かわいい」はつまるところ、neoteny化である。赤ん坊が無条件に「かわいい」ことがその証左である。私は、かつての恋人が成長拒否だったことや、女性監督が集まって作ったオムニバス映画「21世紀の女の子たち」という映画を見て、女性は潜在的に少女願望があることに気づいた。幼生化することで生殖対象となることを避けようとしている(その代わり「幼児偏愛」という異常者の標的になるリスクを負う)。女性は必ずしも「異性愛」を求めていない。だから「自己愛」が歌われるのだ。
村田沙耶香の小説にあるように、科学技術がもうすぐエデンの園で課せられた罰から女性を解放するかもしれないが、現代を生きていく上では、若さにしがみつくことなく成熟しなくてはいけない。そのことは今日(2023年4月6日0時台)のSHOWROOM配信でサキマルさん自信が語っていた。歳を重ねても朽ちない普遍性をアイドルをしながら模索すると。

かなり話がそれてきたが、今回の試みは成功していると思う。このような路線を進むなら今後サキマル節が既存曲なみに活きるものが望まれる。そして前回のべたような「女性が望む世界」を描くものであってほしい。
それがきっとウイバナの「王道」だと思う。



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