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ウイバナ考 ブルースターの花束

夏休みの宿題は新曲の百年祝祭ーPeace Paradeになるはずだったが、歌詞の読み取りに大きな間違いが発覚したので断念した。年初のワンマンライブ、青春永遠論で初披露されすでに音源も公開されている、「ブルースターの花束ー色彩哀歌」を再度確認することにした。


以前も述べたが、ウイバナには珍しいいわゆるmiddle tune の楽曲である。そうなるといつにも増して歌、歌詞の聴かせるところである。

花からくる香りや色のイメージを記憶や存在の連想にしたり、
「伝わる•伝わらない」「忘れたい•忘れたくない」の対句、
「長尺な記憶」「短冊」の対照(尺という編集の専門用語が一般に使われるとはやはりテレビの影響力はすごい)、

そして、「淡い記憶と固有名詞(濃ゆ)名詞」の掛詞(動詞、名詞の掛詞は散見するが、形容詞どうしで掛詞というかは調べきっていないのでご了承を)は熱意を感じる。「こゆー」と「こゆ」と長音をねじ込み、しかも「濃ゆ」という
古語らしき造語(「濃い」の古語は「濃し」。助動詞「ゆ」は動詞の未然形に接続するが形容詞とは接続しない)を使ってでも表現した修辞である。一見、歌詞にそぐわない品詞名を盛り込むところは「ベガ、デネブ、アルタイル」の夏の第三角に引き続き、おそらく作詞者の實川氏の学歴の高さによるものだろう。

ところで、そこまでして「つなげたい」固有名詞とはなんなのだろう?私のつたない想像力では「相手の名前」しか浮かばなかった。實川氏のトークタイムでタネ明かしを聞きたいところである。

そしてこの悲恋物語、歌のためのただの創作に思えない。かなりリアルなモチーフがあった印象を受ける。年寄りの下世話な詮索だが、プライベートについては雄弁な實川氏でもレクチャーはないだろう。

さて、ここからは完全に私の個人的な関係妄想である。

ライブでこの曲を何度か聞いているうちに、このギターが作る空気に既"聴"感がわいた。「一体なんなのか」しばらくのあいだ悶々としていたが、やっと思い出せた。Dragon Ash の名曲、「Grateful Days」である。

聴きなおしてみるとブルースターの花束は1音ピッキングでGrateful Daysは2音ピッキングだが、作り出される曲調は酷似している。サビの終わり、

キーはもちろんGmajとDmajと異なるが、どちらもスリーコードで、
トニック→ドミナント→トニック→サブドミナント→トニック
と進行して終わる。

彼らは日本での最初のラップ、ヒップホップブームを牽引したと言われるが、そこまでの道のりは彼らの曲の中でよくモチーフとなる「戦争」のような世界。そこを勝ち抜き、オアシスで戦いの傷を癒やすような、そんな成功物語であり、私のようなヒップホップを聴かないリスナーの支持も加え大ヒットした。

ブルースターの花束も歌詞、そしてサブタイトルの「色彩哀歌」という文字を読まないと、曲から失恋の悲壮感はない。失恋の傷を癒やし、克服し、立ち直った印象を受ける。

青春との「格闘」の末に、メンバーがこの曲をオアシスの休むように振り返って歌える日が来るのを心待ちにしている。

そして、このギターが、配信ミキシングのように穏やかに響いているのをライブハウスで聴ける日が来ることを願っている。

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