ウイバナ考 M15 初花
ゴールデンウィークあけに妻の入院手術で再び育児休暇、五連休。
やりたいことはたくさんあった。
植木の剪定
網戸の張り直し
窓掃除
キッシンジャー、柄谷行人…
しかし、結局パズルとネットの奴隷になり、“推しの子”の一巻すら挫折した。ツイッターのタイムラインを流れるウイバナの”アコースティックライブ”と”共同主催”。ウイバナならではのこの企画を逃したのは本当に悔やまれる。
妻は無事に帰ってきてくれた。明日からはまた上司がいない分、いつもの2倍働く日々が待っている。
残った半日で、少しは生産的(?)なことをやろう。マクマキさんも「次(のnote記事)はいつできますか?」と話してくれたことだし。マクマキさんはたしか編集的なお仕事をしているらしいと目にしたことがある(間違いでしたらすみません)。その勢いで無意識に作者に対する圧をかけてくれたのなら……結構うれしい。う〜ん、なんだかおかしな趣向が芽生えている。
セットリストをすっ飛ばして「初花」である。この曲を引っさげて2022年を駆け抜け、飛躍を遂げた、と、私は認識している。私はこの曲以前のウイバナを知らないので、「飛躍した」という過程をちゃんと見たわけではない。ただ、@JAMのセンターステージを争うところまで実力が認められたのは確かだと思う。
最初、曲名はグループ名を冠した「ういばな」かと思ったが、違った。「はつはな」であった。一般用語で、己の不明を恥じたが、やはりグループ名かけているのではないか、と多分に推察される。まさに、揺るがないアンセムである。
この大作を語るのは困難が想像され、これからもライブで聞くたびにまた発見があるかもしれない。だから今回で全部書けない、また書き加えるかもしれない、と、ハードルを下げて打ち始めることにした。
ギターのピッキングだけ(ライブではきっかけにギターの1ストローク、ハイハット3拍が入る)、サキマルさんの落ちサビ(?)でこの曲は始まる。
「咲かない花」は言うまでもなく志望が成就しないことだ。花にたとえるのは世阿弥の比喩か、芸能の世界にかなり近接した表現だと思うが、それ以外でも聴衆が身を投じている世界に重ねることができると思う。
通常、「順番」は「回ってくる」ものであって「空く」ものではないけれど、咲かない、はかない、空かないで、韻を踏んでいるのだろう。とてもリズムがよい。「飽く」にかけているのか?ちょっと答えが出ない。
陰日向——この曲のすべてを乗せていると言っていいこの言葉。うなるしかない。そもそも、この言葉を知らなかった。「え?日陰じゃないの?、陰日向ってなに?」
タレント、劇団ひとりが著した小説「陰日向に咲く」。5編の短編集で、完全ではないが、いわゆる「視点ザッピング」小説。ホームレス、お笑い芸人、オレオレ詐欺など、サブカルチャーを描く。アイドルの話もある。
だが、「陰日向に咲く」はどの表題でもない。最後の逸話のクライマックス、わずか2ページの章題にあらわれて、やっとタイトルを知る。小説は話がややできすぎていて、この曲の世界と並べることはできないが、私に「陰日向に咲く花」のけなげさ、強さをとてもよく印象づけてこの歌詞に導いてくれた。
この部分、歌うのは最初は戸惑う。
嘆いてうつむくより かー・げー・ひ|なた・かーら・さくー
というAuftakt。「陰日向」という語彙もなかったため難しい。
しかし、唱歌の歌いやすさと馴染みがある言葉で
嘆いてうつむくより
日陰に咲く
とやってしまったら、
嘆いてうつむくより (休符)|ひ・かー・げ・に・さくー
と間延びしてしかたがない。
曲が先か、歌詞が先かわからないが、曲の最大の中心部分を見事に作り込んだと思う。
前奏に続いてAメロ。一番はマクマキさんの力強いソロではじまる。
マクマキさんはハーモニーパートを作り出す職人技でいつもうならされるが、ここではソロで力強い歌声を聴かせてくれる。ビジュアルといい、イラストといい、アート系は「多才」。そして歌声はハモりやソロで「多彩」。本当にどこまで引き出しをもっているのか計り知れない。
そしてユラァさんとのセット。ユラァさんもミュージカルをバックグラウンドにしているそうだが、まさにサウンド・オブ・ミュージックに出てくるような伸びやかでさわやかな歌声を加えてくれる。場面が暗転して切迫感を持ったBメロに入る。マクマキさん、ユラァさんで突入する。
ところが、2フレーズ目から「するっと」サキマルさんに入れ変わる。この展開がすごい。
あの切迫感を引き継ぐのはそんなに簡単ではないし、そのあとすぐにビートをぐっと落としてサビに繋げていく。
「咲いているからぁ」で切迫感を振り払う。
サキマル節の「水をやるん『だぁ』」はいくつ倍音が出ているのか?ひとりでハモっているように聞こえる。そして「嗚呼」と交錯して劇的にサビにつなげる。
1サビは冒頭と変わって全員のユニゾンではじまる。そして満を持してシグマさんのソロで締める。スピード感が出たところを、シグマさんのストレートな高い声が一気に貫いていく。伸びが素晴らしい。
短い間奏に続いて2Aメロで場面を一転させる。
ミュージックビデオにあるように、舞台でスポットライトだけになり、内省する場面のようだ。サキマルさんがセリフを言うかのように歌う。
「人生は不公平だね」
の表現はサキマル節ならではである。まるで嗚咽のシーン。嗚咽をメロディーにのせて歌にできるというのは唯一無二のパフォーマーである。
「咲かない花はあるよ」
私は「お前は咲かない花だ」「花ですらない」と言われ続けた。「咲かない方がむしろほとんど。咲くのなんて一握り」だと。「だから雑草のように生きなさい」と教わってきたのは恵まれていたのかもしれない。もし、今は「自分は咲くかもしれない」と思えることが「残酷」とになったのなら、1世代かかって、少しは世の中が豊かになったのかもしれない、と思う。だけれども、不公平を包み隠して現実離れしたフィクションが横行している。そうやってかさ上げしたところに乗っかっている政治や社会は本当に進歩したとは思えない。
残りのAメロをマクマキさんとユラァさんのセットで歌う。
歌詞が面白い。
「手繰る」は両手を交互に動かしてものを引き寄せる動作。時代劇で出てくる井戸の釣瓶の滑車は「手繰り車」というが、まさに両手を交互に綱を引っ張ってくみ上げる。通常「手繰り寄せる」というが「手繰り集める」というのはユニークな言い回しだ。難しくてなかなか叶わないということでジグソーパズルの比喩を用いているが、もしかしたら「手探り」とかけて音節を調整したのかもしれない。
サビの「空かない順番」と同様に、ちょっとひっかかる言い回しを使って注目させている。
「表現は現実の縮図だ」
唐突とも思えるこの言葉だか、本当に痛感する。
仕事をすること、生きていくことというのは究極的に表現することだと思う。誰しもが答を持っていないこと。自分の持っていることでどうやって解決していくか。自分の持っているものをどうやってよりよい成果につなげるように成長させるか。それはアートで表現されている過程と変わらないと思う。だから芸術を、ステージを見に行くのである。自分の表現、自分の仕事、生活をinspireするために。
よく、「平日仕事をガマンして、そのストレス解消にステージを見にきて」という主旨の発言がある。そういう人もいるかもしれないが、私はそうではない。自分の仕事のヒントになるからアイドルを見に行っているのである。そこで表現されているものが、自分が仕事で直面している問題の解決の糸口になるかもしれない。そんな新しいものに会えるかもしれない。そう思ってアイドルも、絵の展覧会も見に行っている。うさ晴らしではない。そこに表現されているものはそんなぞんざいに扱っていいものではないはずだ。
「無垢と煩悩」
どちらも人間の証である。花で祝福すべきものである。
「煩悩」は若い世代でも市民権を得た仏教用語だと思うが、ここで1Aメロの「方便」という言葉が思い出される。確か、華厳経に出てきた言葉で「仏教を説明する言葉」という意味だったと思う。「嘘も方便」ということわざは有名だが、若い世代では結構教養のある人でないとなじみがないのではないか。まして、「方便にねじ込まれて」と、ことわざから離れた使い方をしたということは、かなり意図的に仏教用語を盛り込んだと思われる。宗教性を帯びさせたいわけではないと思うが、やはり人生を語るとなると、そうなってくるのだろうか。
「手繰り寄せた」両手で花を持つとすればなるほど、というところ。
2Bメロはシグマさん。スピード感のあるところは彼女の真骨頂。
そして1番と同様にサキマルさんに渡して、
葛藤をここで収拾する。
空の美しさは心情が晴れていく様を比喩するのにとてもよいが、ややもすると凡庸になる「綺麗」という言葉を使ったところはすごいし、それを陳腐にしないサキマルさんの歌の表現力にはうなるしかない。
傷ついた魂の救済を高らかに歌い上げる。
そして観衆に呼びかけ、壮大な賛歌になる。
そして冒頭のように1サビをサキマルさんとギターのピッキングでフィナーレを迎える。
怒濤の展開を最初のフレーズで締めくくる。ゴルトベルグ変奏曲(BWV 988)がアリアで始まりアリアで終わるように、最後の静寂を噛みしめた感覚を思い出させる。
「強い花になろう」
ボーカルだけとなり、最後に絶妙の口腔内共鳴で幕を引く。
ところで、この楽曲が出たころ、ちょうどサキマルさんのnote記事を読んだので、この曲はサキマルさんのエピソードそのものではないのか?と思われた。ミュージカルの世界で挫折を味わい、そこからまた新たな芸能の世界で花を咲かせようと。ほかのメンバーも同じような来歴があるのかもしれないが、記事とのシンクロがただの偶然とは思えない。
私にとってはこの記事がウイバナに目を向けるきっかけになった。「推しのグループと仲のいい、独特な世界観のアイドル」から「聴きに行きたいアイドル」になった。そして最初に見かけたときとは違い、この「初花」を歌ってまばゆい輝きをステージで放って疾走していた。決して朽ちることのない、アンセムである。
この大作について、まだまだわかっていないことがたくさんあると思っている。それについてこれからも聞き続け、その魅力の秘密を探っていこうと思っている。まずはここまで。