私にとっての神谷浩史さんという存在
私が神谷浩史さんを知ってから12年目に入った。
そして今日、私が神谷さんの誕生日を祝う11回目の1月28日である。
正直、こんなに長い間好きでい続けるとは思っていなかった。というのも失礼な話かもしれないが、元々結構熱しやすく冷めやすい性格なのもあって、好きになったものが長く続いたことがあまりないのだ。
だが、神谷さんはそんな私が唯一飽きずにずっと応援させていただいている存在である。
今日は、そんな私にとっての"神谷さんの存在について"を語りたいなと思う。
神谷さんのことがとにかく人として好きだし心から尊敬している、という独り言だと思ってもらって構わない。
私が神谷さんのことを知ったのは、先述した通り12年前だ。当時私は小学4年生から5年生になろうとしていた頃。
家庭環境がどうも複雑で、家に帰ると毎日親の怒声が鳴り響いていた。
そんな私の唯一の心の拠り所がアニメだったのだ。
その頃のアニメは、やっぱり今の40代くらいの声優さんたちが特に多く出ていた時期だった。そりゃあその頃にアニメばかり見ていたら、神谷さんを好きになるのは別に不思議では無い。
そこから神谷さんの出演しているアニメばかり見ていたら、だんだん声だけではなく本人にも興味が湧いた。
だから調べた。神谷さんについてとことん調べたのだ。小学生だったからスマホも持っていなくて、持っていたガラケーはインターネットの接続が出来ない設定になっていたので、学校のパソコンの授業の自由時間でとことん調べていた。
そんな時だ。"神谷浩史・小野大輔のDearGirl〜Stories〜"の存在を知ったのは。
文化放送にて毎週土曜日の深夜1時からやっているラジオ。通称DGS。
「ラジオやってるんだ…!これ聴いたら毎週神谷さんのトーク聴けるんだ……!!!!」と嬉しくて舞い上がった私は、その日のうちに祖母にラジオを貸してもらった。
ラジオのチャンネルの合わせ方などを祖母に教えて貰いながら、土曜日だけは夜更かしさせて欲しいと親になんとか許可を貰い、イヤホンをつけて夜な夜な大笑いしながら聴いていた。
親の怒声や暴れて嘔吐している声を聴きたくない時も、イヤホンをすることでアニメやDGSが私のことを守ってくれていた。
辛い時はいつだって神谷さんと小野さんの声が私のことを救ってくれていた。
神谷さんがいなかったら、2人がいなかったら、もしかしたら私は人生に絶望して死んでいたかもしれない。大袈裟な話かもしれないけれど、当時の私にとってはそう言ってもいいくらい、本当に支えになっていた存在だった。
大学に通っていた頃なんかは、神谷さんの出演した"プロフェッショナル~仕事の流儀~"で語っていた「自分で自分の居場所を作る」「自信が無いから僕は努力をしなければいけない」という言葉に感銘を受け、「私も神谷さんのような考えができる人でありたい」と思った。
だから私も勉強ができないなりに努力した。
今まで自分は、「自信ないし、どうせ私はやっても無理だからやめよう」なんて思っていたが、神谷さんの言葉で180°考えが変わったと言っても過言ではない。
「神谷さんみたいな人が努力をしまくって今の立ち位置にいるのだから、自分なんかもっと努力しなければ行けないに決まっている」と思ってからは、「無理だな」と思う前に一旦「自分にだったら何ができるか」と考えて、自分に出来ることから努力を出来るようになった。
こういうふうに考えられるようになったのも全て神谷さんのおかげだなと思う。
いつも本当にありがとう。
お誕生日おめでとうございます。大好きです。
うさ🐇