amazarashi初心者が曲を聞いて思ったことを書いてみた
こんにちは。amazarashiの「吐きそうだ」について考察まがいのことをつらつら書いてみました。途中の想像の飛躍などありますが、温かい目で見ていただけるとありがたいです。
吐きそうだ
生きる意味とは何だ 寝起き一杯のコーヒーくらいのもんか
それとも酔いどれの千夜一夜 ていうか二日酔いでもう吐きそうだ
生きる意味とはなんだ。それは朝の活力を入れるために飲んでもいいかなくらい軽いかもしれない、夜中中酒を傾けながら語り明かすためのものかもしれない(明るすぎる解釈な気がする。酔い覚めの刺激物、酒を飲むことで誤魔化すしかないもの)「寝起き一杯のコーヒー⇔酔いどれの千夜一夜」『酔った勢いで作られた歌』『僕は酔いどれの千夜一夜派』そんな難しい話をしていたらもう二日酔いで吐きそう。ここに作者の千夜一夜派な部分。
新しい家に引っ越した とは言っても西日とは未だ友人だ
安心とは縁遠い暮らしの最中で どっち付かずの夢想家
思い出す景色おぼろに 白黒写真みたいなあの日々
引っ越ししたは良いものの未だ売れているとは言い難い。西日が差す→夜に入る前のわずかな時間だけ安心できる。どっちつかずの夢想家。絶望にも安心にも夢にも現実にも振り切れない。amazarashi自身のコンセプトに合っている気がする。白黒写真という細部が思い出せず色あせた日々。=鮮やかだった日々は過ぎ去ってしまった。
何度も僕は僕を殺し 血まみれの僕 未だ在住 心に
夜窓に不意に映るそいつは さながら亡霊か 恨めしそうな目だ
「いつでもこっちに戻って来なよ」 踏みとどまるのはいつだってギリギリだ
自分の価値観を自分で言い負かし そいつをまた否定する言葉遊び
建前を一枚ずつ剥がせば 頭の中すっかり嫌な奴
何度も自己否定を繰り返した自分。いまだに自分を肯定できず、夜ふとした瞬間にまた自己否定がぶり返してくる。でもそんなことは駄目だってわかっている。自分を納得させるために嫌いなところ、認められたいだとか、を適当な美辞麗句を並べ立てて隠している。いつもは。けれど、夜、ふと、それは欺瞞だということに気が付いてしまう。というより、そうやって自分を騙していたことを思い出してしまう。それでまた自分のことが大嫌いになる。
そりゃそうだ一糸纏わぬ人間は そもそも獣とさほど変わらない
つまり犯人は僕自身なのだ っていうのはもう何度目のオチだ?
でも自分を嫌いになるのは仕方ないことだ。どうせ自分たちは欲求にまみれた獣なのだから。なんでこんな自分が嫌いか、それは結局欲求にまみれた自分のせいなのだ。
たった一瞬の たった一粒の 閃きが人生を変える
でもそれを神様みたいに崇めるのは違うと思うんだ
ほんの少しひらめき(ひらめきは何を指している?発売日は20160224。季節は次々死んでいくは20150203関係ないかもしれない。そもそも人生のポイントになった曲は何か。まだ理解しきれていない)が人生を変える。(あの下積み時代は無駄だったのか?)でもそれでアイデンティティを確立できるわけではない。
愚直な自尊心が現実に跪いた 口をつく恨み節 確かによく切れたな
閃きには今も感謝するが 怠惰の言い訳になり得たのも然りだ
純粋、幼稚な自尊心が現実に晒された。恨み言の切れ味は確かに良かった。あのひらめきには感謝しているが、それのせいでひらめきがやってこないと、って言い訳してしまう怠惰な人間になってしまった。だからひらめきなんてものを崇拝はできない。
馬鹿にした奴 見返したいだけじゃ 目立ちたがりや 空虚な愉快犯
上か下かで競い合うその先に 僕ら生きてる虚しさを恥じて
群衆の意思の平均像の下敷きに なっているのもどうせ人間だ
それなら自分が一番可愛いんだと 言ってみせろよこの獣どもが
馬鹿にしたやつらを見返したいだけならば、愉快犯や目立ちたがり屋。自分が鼻で笑ってきたやつらとさして変わらない。競争社会の中で競争に一生懸命になって生きている自分を恥じる。群衆が望む、平均と自分を見比べ、どこが劣っているか優れているかで一喜一憂をするのも批評するのも全部人間。欲求にまみれた獣なのだから、みんな自分が可愛いと思っているだけなはずなのに。また嘘で塗り固めているんだ。また嫌いになった。
埠頭を望むさびれた岸壁 潮風に錆び付いていく命
と呼ぶのも躊躇う様な暮らし ぶら下げ「それでも」と 未だのたまい
港のコンクリートにへばりついて潮風でサビていく命。なんて大それたものと呼ぶのも躊躇うような暮らし。「それでも」なんてまた言ってしまう。クソみたいな命なのにまだ希望を持ってしまう自分が憎い。
所在などなく 行き場所もなく くすぶる魂すら持て余す
「後悔はない」という後悔を 引きずり重い足を歩かせる
いるべき場所、行くべき場所もなく、燃え尽きもしないが燃え盛りもしない魂を持て余す。後悔できないほど事なかれ主義のままで生きてしまった。
愚痴は零すな 弱音を吐くな 素晴らしい人間になろうと思うな
我慢するべきだ 身を粉にして 道に迷っても戻りはするな
優しく在れ 義理堅く 恩は返せ 借りは作るな
無償の愛だ 無償の愛か? これこそエゴか? なんて嫌な奴だ
「愚痴は零すな」嫌われるから
「弱音を吐くな」誰も味方になってはくれない
「素晴らしい人間になろうと思うな」なれない自分に絶望する
「我慢するべきだ」それが好まれる
「身を粉にして」懸命にしていれば努力は実る
「道に迷っても戻りはするな」あきらめなければ報われる
「優しく在れ」「義理堅く」「恩は返せ」「借りは作るな」そうではないといけない
「無償の愛だ」これらこそそう呼ばれるものだ
「無償の愛か?」与えるべきものは。
「これこそエゴか」こんな自分に言い聞かせている言葉だって結局は嫌われたくないとか認められたいとか自分のための嘘だ。あぁ、なんて、僕は嫌な奴なんだ。
結局は自分を肯定できる根拠なんて全部まがい物で、皆が言う「いい人」、というのも皆の周りの皆が作り上げた幻。人間なんて欲求を嘘で塗り固めたものなのだから。自分を否定し続けても嫌になるだけ。だましだましで生きていくしか方法はないのかもしれない。エゴなんてことは分かっている。生きていくにはそうやって騙すしかないんだから。今はただ、二日酔いになるまで酒に酔わせてくれ。
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