何度目かの壁をみて
こんばんは。
このノートを見てくださってありがとうございます。
今日は緊急事態宣言の報道を見ながら、過去日本や世界のビジネスを襲った災害を思い出していました。2011年の311東北大震災、2008年のリーマンショック、2001年911ニューヨークのテロ、1990年代後半はバブルの崩壊で、山一証券の倒産をはじめ、大企業が立て続けに消えていきました。合コン?で会った人が、自分の上司が自殺したと、普通に話していたことを思い出します。当時、異常を異常と感じる感覚がどこかに行ってしまっていた気がします。若い私は、そんな中でも、全然お金もなく先も見えない中でも、次どうするか、一人前になるように夢中になっていて、どこか浮世離れしていたのかもしれません。今考えればあの世の中、人の感覚も起きていることも、たしかに異常でした。
そんな混迷の時代に、大学卒業後数年経ち、自分が何者かになりたい自分がいたのでした。あの日、出直ししたちいさな会社はといえば、転職着任後、数か月したある日、より広いオフィスに引っ越しました。
引っ越した先に行ってみて驚きました。家族経営4、5名のちいさな会社に営業部隊や広告PR担当者が加わり、急に20名ほどの会社になっていました。
そして雇ってくれた社長曰く、これからは営業代行の会社になる。制作はやめない、けれども営業活動が主業務となる、との宣言でした。社名もスマートな響きのものに変更されました。
そのときには私も制作物の見習いを脱し、ページものの冊子を次々担当し、時には外部翻訳者の方とのお付き合いもするようになっていました。
そんなときの会社の様態の変化。少々戸惑いがありました。なんで?営業を辞めてきたのにまた営業?社長と、主要取引先の社長に呼び寄せられました。私さん、営業とか総務経理などをやってみない?うーん、私は営業や総務をやりたかったら前職を辞めてません。
程なくして、大きくなったその会社は清算をすることになりました。突然の告知でした。そのときも社長と取引先の社長の二人が話しに来ました。
どんな都合だったか分かりませんでしたが、今でいうところの「大人の事情」で初転職後の社員経験は、ここで会社都合退職を告げられ、終わりました。1年余のことでした。
また、どうするかなあ、と考える状況になりました。同僚の女性も退職です。前職の金融関係でみてきた、後ろ向き事案の1種です。驚くことはありませんでしたが、何故かはわかっています。営業はやりません、と答えた時点で、制作業務を手放すことにしたのでしょう。何年も自分の事業として経営していたでしょうに、どのような思いで業態の変更に踏み切ったのでしょう。その時点では、すでに社長の奥様も妹さんも、会社には来ていませんでした。
次どうする?
急な雇用終了の場合は、手元の生活資金がない、転職や事業構築のアイデアがないことが問題です。しかしそこはそれ、まさに20代当時のはじける元気、と勢いがあったおかげでなんとなくまた探そうかな、と考えていました… その背景には学生時代の経験がありました。
・・・ つづきはまた。
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