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最高で最高のをめざしはじめた

こんばんは。

キャリアって何なんですかね。

このノートを見てくださってありがとうございます。

翻訳会社つづきで転職が続いたためか、たまたま一度転職したときに小さな会社から中堅の会社に行けたためか、もっとすごい仕事がしたい、自分が出来ていないけれど世の中にはもっと優れた印刷物がある。自分が制作しているドキュメントはもっとよくなる余地がある。でもどうやれば、何を身に付ければ出来るようになるのわからない。そういう気持ちを常に抱きながら、激しく落ちていく社会の中でサバイバルしていたのが実際のところです。

DTPレイアウトやパソコンの使い方、あるいは駆け込んで出合ったテクニカルライティング。そこにあった英語習得への気持ち。すべて美しいこころざしではありますが、実際の生活はぎりぎり。仕事はどんどん増えて、一時は朝から晩までビル下のコンビニ食。会社の近くに住んで、制作の仕事も営業して得ながら、夜中にアルバイトをしたりしていました。

それでもなんともなかったのは、いっしょにやっている仲間がいたこと、最初に金融関係の仕事をしていた結果、わりとお金に関して使おうという意識が高かったためだと思います。やっぱり、若いうちは、後でなんとでもなると思うもんですね。こわいという感覚がなかった。リボしながら、けがしたときも毎日タクシーで通い大変費用がかかりながらも、なんとなく平気で過ごしていました。

そんななか、営業をしている中出合った社長に紹介してもらった会社。大きな会社でした。

同じ仕事はもういらない、と思っていました。この先どうやってよい仕事をしようかな、と考えながらも、案外生活は低め安定しており、はやく新しいことを見つける必要に迫られながらも、変える気はあまりなかったと思います。

しかし、毎朝のコーヒーの時間に仲間たちに思い切って打ち明けたところ、いいね!それ!絶対いった方がいいよ。といわれたのです。辞めないで、といわれると想像していたのに。複雑な気もしますが、そのときは、
でもね、紹介してもらった仕事はもうやったことがあるからやらなくていいんだよ。
といっている自分がいました。… やったことがあることはもうやらない?どれだけ前しか向いてないんだ。最近はそう思いますが、そのときは、違うことをやるのが転職だと思っていたのです。

仲間の声で、同じことでも違う体験をするかもしれないじゃない、という声で、やってきた制作の道を深掘りすることになりました。何も言われなかったら、自分はそのまま感謝して、引き受けなかったと思います。やっぱりそこはいっしょにやってきた仲間。

自分より自分のことを思ってくれる人たちが勧めてくれるのだから、迷って迷って、分からないながらも思い切って行ってみることにしました。

その会社のそのチームは、下町の大きな会社の隅っこの、あかるい窓際にある小さなちいさなチームでした。

あったかい、チームでした。

「ようこそ」「教えてあげるよ」「お昼一緒に行こうよ」

教え上戸な、配慮いっぱいの人たちの集まりでした。職人って、こんな感じなんだな。人にものを教える立場の人たちって、こんな感じなんだ。

それまでと違うのは、海外拠点とのやりとりを初めて受け持ったことと、想像を絶する大量の紙でした。

それが、テクニカルライティングにはまるきっかけとなった、仕事でした。そこは2年の契約でした。

一生懸命、技術について教えてもらえたことをノートに書いて勉強していました。

それが、8ヵ月くらいで、またもや突然終わったのです。「もう雇えないから、この場所にいてもらえないから…」

ということで、契約上、間に入ってくれていた会社のオフィスで、残りの仕事を片付けて、年末に仕事は終了という結論になりました。

まただ。バイトの時と一緒だ。

めげている時代ではありませんでした。大多数の人にとっても、暗い時代ではありましたが、いいよ、次いこう。そんな感じでさらに上に向かって坂道を走る。そんな時代でした。


・・・ つづきはまた。


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