ほどほどの勉強量で古き良き子ども時代を
こんばんは。
キャリアって何なんですかね。
このノートを見てくださってありがとうございます。
私立中学に進んだのは偶然からです。今のように当たり前のように中学受験をする雰囲気は自分の周りには全くなく、しかし転校生の友だちが通うというので一緒に塾に行き、さらに受験をするというので自分も、と友だちの選択に合わせて進むうちに、ひとつだけ合格した学校に行きました。
この流れ、大学受験のときと同じですね。自分の人生が脚本化されているのかもしれません。
そして、大学の時と同様、入学式に行ってみれば、そこがいい場所とわかったというところも同じです。考えてみれば大変恵まれていました。
しかし、1年生の夏休みから、すでに数学ではやりきれない宿題に次第について行けず、その後1年間ほどの数学に関する猶予の年があったのですが、何度やってもできないものはできないという確認作業に終わりました。
ということで、成績は中の中、数学はつねに平均点の20点くらい下を安定的にさまよっていた時代でした。苦しかったのは数学だけではなく、体育もでしたが。ここでは省略します。
さて、中学の2年目くらいから内心思っていたことがあります。
あーあ、はやく卒業できないかな...
学校が窮屈だったのでしょうか。その学校が好き嫌いというより、週6日、朝8時くらいに電車に揺られて通学するその仕組みに疲れていたのだと思います。
やりたい勉強だけしたいよ...
その思いが強かったこともあったと思います。だからこそ、大学で花開いた日々。いやそれにしても、なぜ入って早々に出たかったのか、自分なりに先々の人生を思い、考えたことですが、不思議です。そこはすこし周囲と違う面をもっていたと思います。
後で知ったのですが、自分が中学時代からけっこうあれこれと勉強をし続けていた一方で、他のたいていの同級生たちはそれぞれが、それはそれは楽しい学生生活を送っていました。何が自分と違うかというと、恐らく自分が、この学校に通い続けながら自宅が数度の引越しをしたことではないでしょうか。通学する友だち、出席番号が近いのが友だちという子供の価値観の中に生きていたときに、通学経路の変更は、友だちをほぼ失う経験でした。
思えば実は、大勢の中に溶け込んでいるようにみえて、一人で考え、一人で勉強を頑張っている時間が長かったかもしれません。とはいえ、中学受験時代でも、アニメを見たり、歌謡曲を歌ったり、次第に機会は減りましたが、公園や近所で走り回って近所の子と遊んだりしていた普通の子どもだったと思います。入学後も、机に向かいながらもラジオを録音しようとしたり、TVやアニメ雑誌をみていたり、ペットを愛でたり、なんとなく本を読んでいたりした中学生でもありました。
それでも、家族などからみると、ずっと勉強していた印象があるようです。机ではこのように、別のことを考えたり楽しんでいたのですけれどね。まだ勉強に対しては、7〜8割の力でやるものと決めていたようです。キレてしまわないようにする本能でしょうか。
・・・ つづきはまた。
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