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学校で習った大事な英語のこと

こんばんは。

キャリアって何なんですかね。
このノートを見てくださってありがとうございます。

前回のnote で、英語から英会話に歩み寄っていくところをお話ししたのですが、高校時代の授業が多少、他の学校とは異なっていたかもしれないので、思い出した点についていったん振り返っておきたいと思います。

たしかに学習塾での英語は、アメリカの大学の社会心理学の研究資料でした。対して学校で読んでいたのは、イギリス文学で、アメリカ英語ではありませんでした。(前のnote より)

わたしは学校教育には詳しくありませんが、当時の教科書も、まったくのアメリカ英語ではなかったように思います。

そのせいか、日本で社会に出ると、英語といったときに圧倒的に触れるアメリカ英語の言い回しがまったく分からず、記憶のし直しや追加であったり、はたまた混乱したりしたものです。しかし当時の自分としては、英語に局地的な、方言のようなものがあるとは思いもよらず、ましてやアクセントの違いがあるなど思いも及ばず、ひたすらまた、基本的な熟語を記憶し直すことになっていました。後から思えば、この、熟語というのがポイントで、これはイギリス文学にはなかなか、いや、まず出てこない言い回しがほとんどで、いったんは同様に勉強していた同級生も、いろんな英語がごちゃまぜになってインプットされていたと思います。(逆にヨーロッパとの仕事で、懐かしい単語やフレーズに出逢ったりしたのは、数十年後のことです。)

この場合、たちが悪いのはアウトプット、とくに話すときに、さまざまな英語がまぜこぜになって、英語を話す人たちにとっては奇妙に聞こえる、あるいは理解してもらえない英語になってしまいがちなのです。

今でこそ、学校はアメリカ英語中心の教科書で、覚えるのもアメリカ英語であれば、あそこまでの労力はいらなかったと思います。

自分にとっては遠回りな学習の足跡でしたが、古い詩の味わいであったり、発音記号、単語を構成する単位の意味についての学習ができたことは貴重でした。おかげで伝統文化や開拓の歴史に親しんだり、アクセントやリエゾンで間違うことは、初見でもまずないままこれたのだと、英語学習の足跡に感謝しています。

英会話を身に付けようと思って困るのは、初見の英単語やフレーズについて、意味合いや読み方、アクセントやリエゾンがわからないことです。それらを頭の柔らかかった時代に学校でひとしきり詰め込めたのは、ある程度学んだことが頭の隅に残っており、少なくともそういった領域があることを意識できるようになり、のちにとても大きな財産となりました。


・・・ つづきはまた。

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