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怒濤だった2週間についてほんの少し

こんばんは。

このノートを見てくださってありがとうございます。

今晩はちょっとだけ。そうそう、歌番組が多く、つまりきった生活の空気を忘れて癒やされました。

さて、会社を辞めるまでの1年間ほどの葛藤はすごかったけれど、辞めてしまえば意外となんということもなく、そのまま手伝っていた会社のあれやこれやで時間は過ぎていきました。

スキルや経験の棚卸しは今では平凡な行為なのかもしれないけれど、当時、必死であれこれ振り返っていた自分が見ていたのは、楽しかったこと、よかったこと、そしてできたこと。心の充実と幸せ、達成感ですね。最近までダメな自分がいたはずなのに、なんにも思い出さなかったのが本当に不思議。

転職活動をそろそろ、と思ったのは3ヵ月後でしたが、貯金もなくなるしな、くらいでした。生活は引越しもあり、けっこう散らかった感じもあったかもしれません。

で、最初にやったのは、昔の職業安定所ハローワークとBeingという転職情報誌。次々にピックアップした会社に電話をかけてはアポ取りをしました。その間に古い落とされるところもあり、自分自身が考え込むところもあり、もう景気は悪くなっていたと思うけれど、まだまだ底にはたどり着いてはいませんでした。回りの仲間がわいわいと集まっていたところになんとなく寄り添っていたから、心配も不思議としていなくて、今はいろいろと余分なものを抱えているし、それを守ろうとしてしまっているからかなり感覚が変わったのを感じます。

そして2つに絞れた会社とのやりとり。面談に行き、意気投合した先の社長のところに、正社員としていきました。家族3人の会社に正社員なんて、今考えるとすごいこと。未経験者を親切に教えてくれました。恵比寿の駅前の商店街を入ったところにあった少しくたびれたビルの上で、毎日大きなMacとテーブルに挟まれて、ワクワクしていました。

社長の妹さんは、歩いて10分余のプリントショップを教えてくれて、以後は何かとお使いに走ったり。動き回るってテンションが上がるもんです。今この状況下でも、川沿いの散歩などは健康にいいのかもしれません。

ほぼ同時に入社してきたもう1名の女性は、アメリカ帰りで翻訳者との連絡や英語のチェックをしていました。私はレイアウトをしたり、印刷のための指定をしたり、ちょっと工作気分で、先日までやっていた、社内報の制作経験が役に立ったものです。

それが恵比寿時代。なんて素敵な場所での勤務経験。しかしその時代は案外短いものでした。


・・・ つづきはまた。


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