仕事って楽しくていいんだって気がついた
こんばんは。
キャリアって何なんですかね。
このノートを見てくださってありがとうございます。
大学時代以前の自分を知る友人知人は、みな自分のキャラクターが変わったことに驚く。とくに、転職回数や携わっている仕事、稼働状況などを知ると驚愕する人もある。それほどまでに自分は変わったということか。
1本の、将来へと敷かれたレールが一体どこに向かうか知らない、けれどそこから決して降りることの出来ない、それが自分だった。大して中身は知らないが、なんとなく出来ることに意味のない自信を持ったまま、先に走りさえすれば天才とまで間違われるのが社会だと考えていた節さえある。
自分がそのレールから降りるのには、大変な勇気が必要だった。
実際、本当は降りる必要のないレールだったかもしれない。だってそこは、まじめにつづけさえすれば、将来の安泰が手に入る場所だったはずだから。
でも、自分はあえて自問した。このまま、意味もなく仕事の依頼をもらっては、断ることを繰り返す日々。この貴重な20代に、この生活でよいのか。
大学までは、比較的何かを学ぶことが好きなおとなしめの自分だったため、授業も好きなものしか取らず楽しくて仕方がなかった。作りたい同人誌も好きなように編集した。
社会人としての将来を考えたときに、これからはコンピューターと英語だと信じていた自分はほめられる。
実際、英語とくに英会話は、受験が終わったあとにようやく興味を持ったし、プログラミングは夜間の授業だったが、要求事項に対してきちんとアウトプットが出てくる感じがとにかく好きだった。
それに追加して、女性の自立。皆がそんな想いをもって、自立を半ば強迫的に指向していた気もする。先輩たちが、専門職や公務員等になり、男女平等を標榜していた時代だ。その先頭を行く女性社会人たちにたくさんの話を伺いながら、自分の行き先を求めた—
制作の業務は自分には紛れもなく似合っていたと思う。B2Bではあっても、ミニマムな制作に必要なクリエイティブは適度なチャレンジだったと思う。
社内報編集委員という名の社内ボランティアを辞めるとき、こんな楽しいことを仕事にしている人々もいるんだよね、と思っていた。会社に行き、楽しくて仕方のない充実した毎日を過ごす。憧れのようなものを感じていたかもしれない。
仕事は楽しくてよい。仕事は人生だ。間違っているという人は多いかもしれない。けれど、一日のうち、半分は仕事をしている。自営でやっているとほとんどいつもが仕事だ。楽しみも怖さもさみしさも、すべてそこにある。それが仕事だ。
そう考えると、自分はいつか、この会社を離れなければならない。そう感じていた。医者や弁護士にはならなくても、なにかのプロフェッショナル、そう、フリーで自由に仕事が出来る、プロになりたい、そう思い当たった。
プロ。もしそれで仕事が継続性を持って手元にあるのであれば、自分はフリーのプロになりたい。そう思って、実際に追いかけ始めたのが、最初の会社を退職したときだった。
仕事は生活、仕事は人生。Life。だから、楽しくなければ!始まらない!夢中になろう。なりたい!
・・・ つづきはまた。
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