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【小説】鈴虫の幽霊

 冬だというのに、鈴虫が鳴いている。
 しかも、この部屋の中で。

 西日が強く射し込むワンルーム。視界の端に黒いものがよぎった。壁の隅をぴょんぴょん跳ねているのは、やはり鈴虫だ。鈴虫って越冬できるんだっけ?たいがいの虫が、秋には卵を産み死に絶えるはずだ。調べてみようと携帯を探すが、近くには見当たらない。どこに置いたかな。

 探すのを諦めて、鈴虫を眺める。弱った様子もなく元気に跳ね、そして時々羽を震わせて澄んだ音を奏でる。そうだ、写真でも撮ってインターネットにあげてみよう。ちょっとした話題になるかも。そう思って、また、携帯が見当たらないことを思い出した。

 りーりーりーりー。メスを呼び寄せるはずの音をいくら鳴らしても、この部屋には誰もこない。可哀相なやつだ。仕方がない。外に逃がしてやろう。もしかしたら冬も生き延びることができる種類なのかもしれない。そしたらきっと仲間もいるだろうから。

 ゆっくりと近づいて、そっと手を伸ばした。けれど僕には捕まえることができなかった。どうしてもできなかった。すかすかと、まるで実体がないかのように、鈴虫は僕の手をすり抜ける。鈴虫の、「幽霊」?

 一寸の虫にも五分の魂とは言うけれど、鈴虫も幽霊になれるのか。どおりで冬の最中に元気に鳴いているはずだ。幽霊に対して「元気に」という表現が正しいのかはわからないけれど。

 幽霊なら、どんな未練を抱えているのだろうか。やはり子孫を残せなかったことだろうか。どんなに必死に鳴き続けても、待ち望む相手は現れない。どうしたって今は冬なんだから。

 この部屋に取り残された鈴虫と、僕。せめて僕だけは鈴虫の音色を楽しんでやろう。誰にも声が届かないのは悲しいもんだから。

  観客を得た鈴虫は、一層羽を震わせる。今は冬なのに。

 色づき始めた葉。夕焼けに染まる羊雲。むかいの家の庭には柿がたわわに実っている。今は冬のはずなのに。

 鈴虫と、窓から見える秋の幽霊。
 僕は、この何もない部屋で、永遠のように鈴虫を見ている。

 (完)

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