漆芸家、スペインをゆく: Día 6
南蛮漆器の調査でアンダルシアを旅している。
グラナダでの調査はわずか一日。夕方に調査が終わると、美しい街並みに後ろ髪を引かれつつもそのまま駅へ。再び列車に揺られ今度はセビリアへ向かう。同じスペイン南部とはいえ交通の便が良いわけではなく直行便でも2時間半ほどはかかる。
スペイン南西部に位置するセビリアは、大西洋に続く大きな川を有し南蛮貿易の要所として栄えた街である。グラナダに比べると都会感が強い。
この街にはセマナ・サンタと呼ばれる年に一度の大祭があるという。キリスト教の中でも聖母信仰が強く、祭りの日には大きな山車に各教会の聖母像が掲げられ、60人近い人々がそれを担いで町中を練り歩く。聖母像は絢爛豪華な刺繍が施されたヴェールを纏い、所狭しと銀細工が飾られた台座は神々しく輝きながら、右へ左へと揺れる。街の中心にある大聖堂には20体以上の聖母像が集まるらしい。
その大聖堂を訪れ、驚愕した。これまでスペインやイタリアで色々な大聖堂を見てきたが、毎回その規模の大きさに度肝を抜かれる。天井の高さは100mに及ぶものもあり、石をひとつひとつ積み上げてその高さまで教会を作り上げる作業は想像するだに常軌を逸している。まして、その壁や天井にこれでもかと絵を描いたり、眩いほどのステンドグラスを敷き詰めたりしているので、それが数千年前から人間の手でひとつひとつ作られているという事実をにわかには理解できないのである。
セビリアの大聖堂もまた、理解を超えた存在だった。その中でも突出して目立つのは木彫装飾。20〜30mはあるだろうか。祭壇の床から壁一面にこれでもかというくらいに彫り込まれた聖母像や聖人像の数々。その全てに金箔が貼られ、さらに鮮やかな彩色が施されている。彩色はところどころ擦り落とされ、その部分は下の金箔が表出するため、ハイライトに当たる部分は金色に輝くという装飾法が用いられている。
圧倒的な存在感と、衝撃的な作業量に言葉を失う。恐らくそこにいる誰もがそう思っていたであろうし、実際、前に並べられた椅子に座って、ただただ祭壇を見上げることでしか、その空間に応える術はなかった。
前述の刺繍といい、銀細工といい、木彫の数々といい、この地の工芸文化のレベルの高さに敬意を払わずにはいられなかった。そしてそのこだわりの強さは日本のそれと非常に近いもののようにも思われた。彼らは石や銀や絹糸や木という各種の素材が持つ力を信じ、その能力を最大限引き出すためにありとあらゆる努力を惜しまないのであろう。私がスペインという国に出会って、どことなく日本のそれに通ずる感性があるように感じてきた根底には、彼らのものづくりに対するこの繊細で情熱的な精神があるのかもしれない。
セビリアで出会った南蛮漆器は、計4点。どれも、制作時代や特徴が異なる興味深いものだった。
そのひとつの聖櫃(せいひつ)には、銀製の金具がつけられていた。南蛮漆器に付けられる金具は、通常銅製に金鍍金(めっき)が施されたもの。長い旅の中で、金具が付け替えられることも多いが、そのなかでも銀金具が付けられたものはとりわけインパクトが強い。さらに、かまぼこ型の蓋のてっぺんには銀製の十字架まで付けられていて、明らかにアレンジが加えられている。
これはスペインルートで海を渡ったもの特有の現象で、途中のメキシコか、あるいはスペインに入ってからの改造か、いずれにしても日本人の手を離れてから加えられた装飾である。写真や展覧会で見たことはあったが、日本で漆器を作っている自分にはあまりにも見慣れず、その時は妙な改造をするもんだなという印象だったが、セビリアの修道院の一角で見るその姿はまるで別物であった。思っていたよりも全然しっくりきている。頭の中で銀の金具を外して蒔絵の箱だけの姿を想像してみると、むしろ物足りない。
銀は南蛮貿易の中で、南米からメキシコやスペインに大量に輸出された。セビリアの大聖堂で見た圧倒的な銀細工もその資源量があってこそのもの。大量の銀を手に入れたセビリアの職人達が自らの文化として銀細工を発展させ、さらにそのセンスと技術を南蛮漆器へと応用して他に類を見ない新たな美術工芸品へと高めようとしている。
そんな彼らの情熱を感じたからだろうか。こうした異国の地における日本文化の改変に対して否定的になったり、また異文化の影響を受けて自らが積み上げてきた価値観を揺さぶられることに恐れを抱いたりする場合もある。自分の属する文化が、それとは違う価値観に上塗りされることに抵抗を感じる、それはかつての私もそうだったかもしれない。しかし、今はそういった改変に寛容でありたいと思うようになっている。その助けとなってくれるのは、書籍や展示会に触れるだけではなく、その作品が本来あるべき場所に身を置き、その地の人、文化、空気に触れて作品を見ることだ。
作品の魅力は、一方向の視点からでは理解できない。去年、自分が独立して周囲の環境が変わってから、そのことをより強く感じるようになった。価値観の変容というものはいつでも起こりうる。過去の旅では理解できなかった新たな南蛮漆器の魅力に気付けたことは、私の今後の制作活動にどんな影響を与えるのか。ちょっと恐いけれど、楽しみでもある。