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「山のは」より - 2024/6/26 夏至

拝啓 2024年6月1日。工房山のはが始まって一年が経ちました。感動と驚きと大変な事態が次々と押し寄せ、大切にしたい経験が数え切れないほどありました。

ここまで、奥久慈での活動をどのように展開していくかを見極めるための準備期間というつもりで、色々な種を蒔いてきました。芽の出るものもあればそうでもないものもたくさんありますが、確実に何かが少しずつ動き出している感覚があります。

怒涛の一年を振り返ってみようと思います。

東京を出て、深夜に到着した諸沢初日。子供を寝かせた後のまさに嵐の前の静けさの中、何もない部屋で、妻と二人カップラーメンを食べました。翌日荷物の到着と共に、よもやあんな大嵐に見舞われるとは。今でも思い出すと苦笑いしてしまいます。

引越当日、山が煙るほどの大雨

新生活の最初の関門は、住居と工房の整備でした。築150年の家は丁寧に管理されていたので建物としては大変優秀でしたが、当然ながら埃と湿気はなかなかのもので、とにかく風通しと掃除、掃除、掃除の日々。明治時代に建てられた、部屋が田の字型に並ぶシンプルな間取りの家を、どうにか工房と住居として成り立たせるために日々頭を捻っては手を加えていきました。地元の大工さんと電気屋さんには本当に良くしていただき、工房を訪れるお客さんも日に日に増えていきました。

嵐の影響で電気工事もなかなか進まず

活動を開始して間もなく、奥久慈漆生産組合の活動に参加させてもらい、苗木の勉強会にも声をかけていただきました。これまでにも何度も見学させてもらっていたのである程度のことは理解しているつもりでしたが、実際に近くで生活すると新しい発見の連続で、今までにも増して漆生産の現場の魅力に心惹かれていく日々でした。

漆畑がそこかしこに見られる奥久慈

山のはの初めての夏はエアコンもなく、記録的な猛暑をどう乗り越えていくか、不安でいっぱいでした。しかし、朝晩は涼しい諸沢の夏は思いのほか過ごしやすく、ここ数年味わったことのない深い睡眠を得ることができました。7月の初めには近所にホタルの飛び交う沢があることを教えてもらい、山中に瞬く蛍の光に家族で大興奮でした。今年もまたホタルの季節がやってきています。

これは今年のホタル

夏の過酷な草刈りと酷暑の中の工房作りに作品制作、移住者向けのセミナーを受けたり、東京の仕事や出張もあり、激動の日々にひたすら目が回っていました。そんな中たくさんのゲストが奥久慈を訪ねてきてくれました。漆畑や漆掻きを見学したいという方々はもちろん、友人や親戚も遊びに来てくれ、壁にぶつかって心折れそうな時に、自分の活動を応援してくれる人々の存在に本当に心を救われました。山方地区が誇るあゆの里祭りでは、山に響き渡る花火が怒涛の夏を締めくくりました。

多くの人を出迎え、見送った山方宿駅

秋の山の劇的な変貌も目に焼き付いています。日に日に心地よくなっていく風に心打たれる一方、冬の到来を恐れ、夏のうちにメルカリで購入した灯油ストーブを設置、急拵えで薪ストーブを導入し、これでもかというくらいもこもこの冬着とパジャマを用意して初めての冬に備えました。

この頃、県北の広報誌や茨城県移住ポータルサイトに取材してもらい、たくさんの方と出会うきっかけをいただきました。常陸大宮駅の駅舎建て替えに伴う駅前再開発について知ろうと「エキマエデザイン会議」という集まりに参加し、街の活性化のため懸命に活動する方々や、水戸のデザイナー学院の先生、学生たちと知り合えたのも大きな収穫でした。

秋は美味しいものも。久慈川沿いの公園で行われる関東最大の芋煮会ではその集客と盛り上がりに圧倒されました。

クレーンで具材を投入する、冗談のような絵面

山の冬は12月、1月、2月と毎月違った姿を見せます。冬はただ寒さに耐えるものとばかり思っていましたが、刻々と変わる山の姿はとても興味深く、まるで飽きないことに驚きました。奥久慈の冬は、厳しくも美しい冬です。

山のはで初めて企画した食事会にはいつもお世話になっている漆仲間に来てもらい、不慣れながらも「けんちんそば(奥久慈の郷土料理)」を振る舞いました。交流を深めるなかで、工房の目指す方向が少しずつ見えてきました。

絶品蕎麦は漆仲間の手打ち

冬は草刈りや外の仕事が落ち着く分、制作の仕事に力が入ります。シーズンを終えた漆掻きさんにも助けてもらい黙々と作品制作に打ち込みました。

漆畑は伐採、苗畑は苗起こしに出荷の準備と、漆生産の一年の流れを一つ一つ目の当たりにすることはとても心地よく、また大変な仕事を毎年絶やすことなく繋げてくださる生産者の方々に深く感謝するのでした。

静かな冬を超え、芽生えの季節。色とりどりの花が咲き乱れ、あたたかい風が吹きわたる頃、山のはからもいくつかのプロダクトが生まれました。山のは椀と山の箸。シンプルな拭漆の椀と箸ですが、奥久慈の漆をより深く理解し、その魅力を再認識することができました。

山のは椀
山の箸

奥久慈の漆は本当に綺麗です。この貴重な樹液の魅力を近くで感じられること、自分がここへ来た意味が少しわかってきた気がします。

Restaurant Yoshiki Fujiさんとの出会いもありました。常陸大宮の魅力を最高の空間とお料理で全力で味わう、そんなお店に山のはの器を使ってもらえることになりました。

他にもまだまだ、書ききれないたくさんの出会いと、経験がありました。その全てが、自分の力になり、たくさんの挑戦を後押ししてくれています。

そして2024年6月、山のはは工房改築という新たな挑戦に踏み出しました。

梁の上に天井を組んでいるところ

一年間、何がどうなるかもわからずにもがき続けてわかったことは、この奥久慈、そして諸沢が「ここでいこう」と思える場所だということでした。無謀かもしれませんが、漆の里にたくさんの人が訪れて、みんなで漆の楽しい未来を描けるような拠点を作りたいと、本気で思える場所です。

引越して以来ずっとお世話になっている大工さんに、ほんとにそこまでやるの?と驚かれていますが、やることにしました。

一年間、右も左もわからない私たち山のはを応援いただき、本当にありがとうございました。今後また一層、ご心配をおかけすることになるかもしれません。引き続き温かい目でお見守りいただければ幸いです。

2年目の山のはも、どうぞよろしくお願い申し上げます。 敬具

宜しければ「工房 山のは」の活動にご支援をお願いいたします。いただいたサポートは、奥久慈漆の植栽、漆畑の管理等の活動に充てさせていただきます。