
漆芸家、スペインをゆく: Día 4
今日はマドリッドを発ち、グラナダへ移動する。だが、その前に重大な仕事があるのだ。
プラド美術館で講演、をする。
プラドというのはあのプラドだ。プラドで講演? 嘘とは思わないまでもにわかには信じられない。講演といっても、小さな交流会みたいなことかなと想像しつつ現地入りする。
プラドには和田さんという日本人の修復家の方がいる。すごいことだ。プラドは文化財修復に関する技術、環境、マインドなどの面で世界の最先端を切り拓く美術館だ。そのプラドの修復家(西欧諸国には美術館に専属の修復家=コンサバターと呼ばれる役職がある)になるには、凄まじく狭き門をくぐり抜けなければならない。そこに日本出身の修復家さんがいるということを、同じ日本人として誇りに思わないわけがない。
ここで今更ながら説明しておくと、私たちがスペインに仕事で来たのは今回が初めてではない。最初は2016年。2017、2018年と連続して3年間スペインを訪れていたが、2020年、世界がコロナで分断された。今回の出張はコロナショックを経て、もしかしたら途切れてしまうかもしれなかった縁が繋ぎ直される、とてつもなく有り難い機会なのである。
和田さんとは2018年、コロナ前最後の出張の際にお会いしていて、6年ぶりの再会だった。6年前と変わらず、優しい笑顔で迎えてくれた。講演前の僅かな時間だったが、またこうして縁が繋がったことに胸が熱くなった。
館内を案内してもらううちに時間はあっという間に過ぎ、講演の時間が近づいてきた。会場はこっちです、と美術館から少し離れた建物に案内される。近くにプラドの新しい展示施設がオープンするらしい。会場はそのすぐそばの建物で、美術館の事務所の中の会議室だった。
前日のオレンジ教室とは真逆の衝撃だった。これはG20サミットですか?という趣きのカッコ良過ぎる会議室である。しかもこれまた満員御礼。ロの字型に配置されたテーブルの外周に並べられた椅子は30席くらいだったがそのさらに外周に椅子が並べられ総勢50名のプラド関係者が待ち構えていてくれたのである。ロの字の中央から四方向に大型のモニターが設置されており、部屋のどこからでも講演のスライドが見られるようになっている。
これはいよいよ不安である。G20サミットで漆の話をしたことはない。G20サミットでないことはわかっている。が、本当にいいのだろうか。みんな我々が漆の話をすることを分かって座っているのだろうか。
心配をよそに、代表者の方からの紹介を受け、講演が始まった。
基本の話は前日と同じだが、時間は30分短い60分。内容を短縮し、また直前に聞いた話や諸々の雰囲気を考慮して話の重心や展開を微調整した。
伝わるかな、と案じながら話しつつお客さんの顔を見ると、みんな真剣に耳を傾けて聞いている。話す言葉ひとつひとつに、しっかりと興味を持って、目を輝かせてくれていることが伝わってきた。話を進めるにつれ、じわじわと会場が熱を帯びてくるのを感じる。文化を仕事にしている人達が、異文化を担う私たちに最大限の敬意を持って話を聞いてくれている。我々もまた最大限の敬意を持って自分たちの文化、世界の文化の繋がりに対する想いを伝える。そこには独特の緊張感が充満している。話しながら思った。これは最高に楽しいやつだ。
講演が終わった時、会場には50人とは思えない分厚い拍手が響き渡った。二人で何度かお辞儀をして、笑顔で感謝を伝え、それでも拍手は鳴り止まず、父が席を立って礼をした。なんだこの感覚。ちょっと泣きそうになった。講演会ってこんなに感動するイベントだったっけ。
熱の冷める間もなく、次の目的地に進むべくアトーチャ駅へと向かう。10番線にグラナダ行きのAVEが待っていた。マドリッドの旅程を伴走してくれた国際交流基金の恩人二人に手を振り、列車へと乗り込んだ。
程なく列車はゆっくりと走り出しマドリッドの街が遠ざかってゆく。
片手にbocadillo(スペインのサンドイッチ)。車窓には広大な大地に延々とオリーブ畑が続く。夢を見ていたのだろうか。あまりに早いスピードで、充実すぎる時間が過ぎていった。
18年前。グラナダへ向かう列車の中で、私はbocadilloを食べていた。

いいなと思ったら応援しよう!
