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漆芸家、スペインをゆく: Día 8
バルセロナの中心地に、海に向かって長く伸びるランブラス通りという道がある。道の両側にはたくさんの店が軒を連ね、多くの観光客が行き来する。
メインストリートから小道を入った先に旧市街が続き、古い石壁の迷路の様になっている。道が狭いのに建物の背は高いから曲がり角の先がどうなっているのかまるでわからないし、道もくねくね曲がったり斜めに交差していたりで自分がどっちを向いているのかわからなくなる。かと思えば突然広場に出くわし、荘厳な教会が目の前に現れたりする。今でこそGPS技術が発達しているが、かつて学生時代に訪れた時は地図と睨めっこしながら、ハラハラして歩いた記憶がある。
そんな旧市街地の一画に一軒の日本食レストランがある。路地を入った石壁の片隅にひっそり書かれた店の名前は、Koy Shunka。忍者屋敷と例える人がいるのも頷けるほど目立たない入口をくぐるとさらに薄暗い道が続いている。明かりはわずかで洞窟の中を歩いているような感覚になる。しばらく行くと、突き当たりに自動ドアがあった。思いの外勢いよく開いた扉に一瞬戸惑った直後、まるで異世界に飛び込んだかのような景色が広がった。
店の大部分が厨房になっており、その中で10名ほどのスタッフが忙しそうに行き来している。厨房を取り囲む様にカウンター席が作られ、周辺には数席のテーブルが置かれている。適度な照度に設定された店内はまさに隠れ家といった表現がぴったりな美しい空間である。
このレストランを取り仕切るのは松久秀樹シェフ。今日は松久シェフがバルセロナを代表するシェフの方々を招待して食のイベントが開催される。
使われるのは日本の漆器。これは日本からスーツケースで持ってきたものだ。事前に送ることも考えたが、割れたり届かなかったりしたら大変だと、関係者の間に緊張が走ったので、よくわかっている自分が手荷物で持ち込むことにした。
盛りつけるのはスペイン料理。日本の器とスペインの料理がどんな化学反応を起こすのか、という試みのために一流の料理人たちが集まってくれるというのである。シェフたちを率いる重鎮的存在のフェラン・アドリアさんの他、ジョアン・ロカさん、パコ・ペレスさん、オリオール・カストロさん。
恥ずかしながらスペインのレストラン事情を知らなかったので実感が伴わなかったが、聞くところによると、どなたもミシュラン星付きの予約が取れない人気店で腕をふるう伝説の料理人だとか…そんなすごい方々が漆の器を使うために集まってくれるのだというのだから畏れ多い。どきどきするが、この際だから楽しもうと覚悟を決める。
食事の前に、まずは漆の作品を見てもらう。すぐに彼らの理解は得られたようで、的確な、鋭い質問がいくつか投げかけられた。フィールドは違えど神経を研ぎ澄ませて作品をつくるという意味で視点が似ているのかもしれない。特に食において器は同じ舞台に立つパートナーのような存在なのだから、それに対する彼らの意見や眼差しは真剣そのものである。私たちの持ってきた文化の本質を見抜かれているような気もする。
食事会が始まる。さっそく漆塗りの蕎麦猪口が運ばれてきた。朱塗りだが、唐草の文様に彫られた部分に黒塗りの層が見える。
盛り付けられたのはエスケイシャーダと呼ばれるカタルーニャの郷土料理。鱈とトマトやタマネギを合わせたマリネのような料理だ。蕎麦猪口ごと手で持ち上げて、お箸でいただく。不思議な感覚である。オリーブオイルやニンニクの香りが明らかにスペイン料理だが、塗り箸と蕎麦猪口が絶妙なとろみを演出している。口当たりが柔らかいので、料理そのものにまで角が取れた優しさを感じる。もちろん、松久シェフの料理自体が優しい表現なのだと思う。それを器が引き立てている、というところだろうか。
隣に座っていたオリオールさんが美味しそうに平らげる。そして私の方を見て嬉しそうに微笑んでくれた。オリオールさんの大きめの手に収まった漆器はいつもより小さく見え、食べるのも私と比べたら遥かに早いので物足りないのでは、と心配になる。
その後、オマール海老のご飯や、フリカンドといったスペインらしい料理が次々と漆器に盛り付けられて運ばれてくる。メンバーの中でも1番のレジェンド、フェランさんは椿皿をとても喜んでくれたようで、これはすぐにでもスペインで売れるぞ、と太鼓判を押してくれた。
いくつかの料理が提供された後、オリオールさんに使い心地を尋ねてみると真摯に答えてくれた。
漆の器には日本人の相手に敬意を表する精神が詰まっていると思う。器を持ち上げて口をつける所作も尊いものを扱うように美しく、それ自体が食事が素晴らしいものであるという感謝の気持ちに見えると。両手で持つのも食べ物の熱がほどよく伝わってきて気持ちが良いし、自分も料理に向かうとき、日本の精神にとても良い影響をもらっていると。
大きさについても、スペインの方々には小さいのではないかと聞いてみた。曰く、小さいことは良いことだ。美味しいものは一口目が最高で二口、三口までは良い。しかしそこからあとはあまり感動がない。少ないほど最高のパフォーマンスを出せるのだから、その意味でこの大きさの器は素晴らしいと思う、とのことだった。
オリオールさんは、どの料理も美味しそうに食べ、嬉しそうに話してくれる。もちろん遠くから来た専門家に対して悪いことは言えないのだとは思うが、それにしても私達が大切にしているものをここまで澱みなく理解してくれていることに心からありがたいと思った。
最後に全員でキッチンに入らせてもらい、一列に並んで写真を撮る。
美しい空間と美しい器と美しい料理。そしてその料理が、この上なく美味しい。
地元の常陸大宮で敬愛しているバスク料理のシェフが、料理は総合芸術だ、と言っていた。本当にそうだと思う。心を込めて作られた食材を使って心を込めて作った料理が、器と空間を通して伝わっていく。どんなに良い器でも、それだけでは辿り着けない到達点がある。盛り付けてもらって、使ってもらって初めて完成する。その時に作り手も気づいていなかった作品の価値が生まれることも珍しいことではない。
ものを作るということは自分一人で作るのではなく、人との繋がりの中で生まれるものなのだと思う。
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