孤独の淵に立つ。
(なんらかの案件に対して)
「難しいと判断しました」「〜できなくなりました」「参加できません」
という言葉、やはり身構えてしまう。
落胆する前に「なんで?」となる。
理由なくその言葉を突きつけられると、ほんとうに悲しいし「今まで期待していた時間を返せ」となってしまう。
こういう考え方を捨てられない人なので、どうしようもないことくらいわかっているのに。
そんなことだから、友達ができないことも知っている。
そんなことだから、cotonohaの件も蹴られたのかもしれない。
今まで生きてきて何度かこの言葉をもらい、その度に落ち込んだ。引きずったままで過ごした。
なるべく関わりを持たないように行動しても視界や耳にはすぐ入る。避けていても入る時がある。特にネットの世界はこんなことばかり。
一旦離れてみればいいじゃない。
誰かはそう言う。直接言ってもらったわけじゃない。
一時的(といっても5日程度だけど)離れたことはある。結局戻ったのだけど、前ほど騒がなくなっていた。
これ以降、期待することをやめた。
−−−
友達とは言い難い関係の人に「遊ぼう」と言われたことがある。この人は部活のメンバーだっただけで、友達とは思っていなかった。
「予定が狂ったら教える」とも言われなかったし、すんなり集まるものだと思っていた。
次の休みの日、待っていてもその人は来なかった。複数人で遊ぶ約束をしていたらしいけど、私には連絡がなかった。
友達の輪というものに入れてもらったことがほぼなかった私にとって、これはほんとうに嫌だった。
今この話をしても「そんなことあった?」ではぐらかされてしまうのだろう。もう昔のことだし、誘ったこと自体を忘れているかもしれない。
「特定のメンバー」「いつものメンバー」という言葉が苦手(嫌い)な理由はここから出てきた。
学校の班決めの時は「なるようになるから別に」と自分から動かなかったせいで班にいたにもかかわらず孤独感が丸出しだった。
仲のいい子は率先して「いつものメンバー」で組みたがり、そうでない子は取り残される。私は大抵取り残される側だった。
それはいじめの助長では、と思うことしばしば。
「自分とこの人は合わない」と思うのは構わないと思う。私はそう思う人がかなりいるけど、評価できる部分のあった人もいた。先々月で仕事を辞めた人が一番あたらしいかもしれない。
それでも「向こうも嫌っている?」はたしかにあった。
最終出勤日、私には声をかけなかったからな。
私はちゃんとした友達を作ったことがない。大抵長続きしないで向こうが去っていく。
親友なんていない。心の内を話せる人もいなかった。
同級生に「私のことを覚えているか」と質問しても、返ってくる言葉は「覚えていない」が大半を占めるだろう。
覚えている人、何人いるのだろう。
それとひとつ思うことが。
固定メンバーの中に一人でも違う人がいると存在が浮くわけだけど、初めてだからといって省いたり話を振らなかったりする人って今でもいるの?
いたら教えてほしいんだけど、
なんでそんなことをするの?