見出し画像

#61 加曽利貝塚踏査記

 昨日、千葉県千葉市若葉区桜木八丁目に所在する国特別史跡、加曽利貝塚を訪ねた。加曽利貝塚は、我が国で最も有名な縄文時代の貝塚であり、縄文時代を専門とする考古学徒にとっては憧れの場所でもある。直径約140mの北貝塚(縄文時代中期)と長径約190mの馬蹄形を呈する南貝塚(縄文時代後期)を含む約15.1haが特別史跡の範囲となり保存されている。双環状集落とも呼ばれるが、南北貝塚以外にも遺構は発見されており、これまでに多数の住居址や約230体もの人骨が見つかっている。貝塚周辺は住宅街であるが、遺跡一帯は加曽利貝塚縄文遺跡公園として一般公開されており、縄文時代の植生を意識した木々が植えられ、下草刈りも欠かしていないように見える。遺跡公園内には千葉市立加曽利貝塚博物館があり、調査成果の公開に努めている。
 JR千葉駅から千葉都市モノレールに乗り換えて、桜木駅で下車し、約10分程度歩くと遺跡公園にたどり着く。入ってすぐの案内図を見ていると遺跡解説ボランティアらしきご老人が近寄ってきて「説明しながら案内しましょうか?」と声をかけてくれたが、自分のペースで歩きたい身としては丁重に断り、勧められた通りに北貝塚から歩くこととした。
 しっかり管理されている遺跡であっても、太平洋側の貝塚遺跡は地面をよくよく見れば、貝殻や縄文土器が落ちていることが多い。果たして加曽利貝塚も白い小さな貝殻や土器片を目にすることができる。加曽利貝塚の象徴でもある微小巻貝のイボキサゴまで落ちていた。「土器や貝を持ち帰らないように」との注意看板があるので持ち帰ったりはしないが、考古ボーイ垂涎の地となっている。
 南北貝塚ともに実物の貝層断面をそのまま露出展示しており、竪穴式住居も露出展示されていた。青森市三内丸山遺跡も同様であるが、遺構の現地展示は、四季の変化が激しく湿潤気候の日本列島では乾燥やヒビ割れ、カビ対策が欠かせないことから資金面含めて困難を極めることが知られている。これを継続している千葉市の英断と努力に改めて敬意を表したい。ハマグリと前述のイボキサゴの貝層が特徴的であるが、住居のすぐ近くに貝層が形成されているのを体感することができる。現地を訪ねなければ分からない周辺地形や貝塚に囲まれた中央窪地の存在も実感することができた。
 加曽利貝塚が縄文学徒にとって特別なのは、縄文土器の標識遺跡となっているからであり、しかも縄文時代中期後葉の加曽利E式土器と縄文時代後期中葉の加曽利B式土器という二型式の標識遺跡なのである。加曽利加塚の調査研究は歴史が古いが、大正13年(1924)の東京大学人類学教室による調査から今年は100周年にあたるため、加曽利E式土器・加曽利B式土器設定の契機100周年記念のパネル展示もされていた。かかる調査をリードしたのが縄文学の父とも称される山内清男博士であり、当時の調査風景の写真パネルも飾られていた。山内博士により設定された両土器型式は、現在も関東地方を中心とする縄文時代の土器型式として現役であり、調査研究の基礎概念として使われ続けている。

北貝塚の貝層展示

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?