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#19 上北鉱山とサモダシ

 筆者の実家がある青森市桐ノ沢団地は、かつて上北鉱山で働いていた人々が戦後移り住んだ場所だったことを以前書いたが、閉山した昭和48年(1973)以降に生まれた筆者にはもちろんその記憶はない。野辺地町で商家を継いだらしい父方の祖父は、筆者が生まれる前に亡くなっていたし、そのエピソードもほとんど聞いたことはないが、父親から子供の頃に上北鉱山の山林で遊んだ話やカラスヘビという黒い蛇の話を聞いた記憶がある。ということは、祖父は一時期、上北鉱山で何らかの仕事をしていて、その関係で父親は桐ノ沢団地に家を買ったのではないかと想定している。筆者が高校1年生まで存命でともに暮らしていた父方の祖母は、野辺地の隣町の七戸町出身だが、上北鉱山のあった天間林村(現在は七戸町と合併)もほど近い。
 今は引っ越してしまったが、長らく実家の隣に住んでいた一家は、上北鉱山の関係者であり、閉山後も鉱毒中和作業を実施する指定鉱害防止事業機関(公益財団法人資源環境センター上北事業所)で働いていた。祖母はその家の同世代の女性と特に親しかったのを覚えている。ちなみに、閉山してから50年以上経つが、現在も法律に基づく鉱毒中和作業は継続しており、いつまで続くかは分からないのである。戦時中は神風鉱山と呼ばれ、国内最大の銅産出量を誇ったが、鉱毒処理を考えればいいことばかりではない。最盛期には鉱山周辺に5000人以上が居住し、学校や映画館まであったそうだが、今は完全な廃墟である。
 青い森鉄道(旧東北本線)野内駅まで鉱石を運ぶための索道(ロープウェー)や隧道(トンネル)があり、筆者も野内駅で関連施設の跡を見たことがある。ただし、現在の野内駅は平成23年(2011)に約1.6㎞西側へ移動しており、これも移転してきた青森工業高校の学生たちのための駅となっているようだ。
 ところで、筆者は小学校の低学年の頃、家族や団地の数家族とサモダシ狩りに出かけたことがある。サモダシとは青森の方言で、ナラタケのことだが、現地の山の中で沢を歩いたり、キノコ汁を作ってもらって食べた。当時サワガニと呼んでいたヤマトザリガニを見たのも覚えているが、どこの山林という明確な記憶はない。ただし、上北鉱山周辺は現在でもサモダシの多くとれる場所として知られており、40年以上前ならばなおさらであろう。桐ノ沢団地の面々と行ったところからも、あそこは上北鉱山周辺の山林だったのではないかと想像しているのである。

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