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#57 鯨餅考

 青森出身の筆者にとって「鯨餅(くじらもち)」といえば、青森市浅虫温泉みやげの久慈良餅が定番だ。浅虫温泉には、永井久慈良餅店と菊屋餅店がそれぞれ久慈良餅を販売しているが、永井の方がよく知られている。上質のうるち米を製粉し、こし餡・砂糖等を混合して蒸し上げた餅菓子であり、むっちりとした独特の歯ごたえとクルミがアクセントとなっている。甘さは控えめであり、筆者は子どもの頃から大好物で、今でも帰省するたびに買っている。もちろん菊屋の久慈良餅も食べたことがあるが、少し水分が多くねっとりした感覚があった。駄菓子あん玉で有名な青森市古川の和菓子店「いと福」にも「くじら餅」が売っているが、まだ食べたことはない。一時期、その起源について調べたことがあり、本来は鯨餅で、久慈良(くじら)は縁起のいい文字を使った当て字であること、浅虫温泉の鯨餅もそのルーツは青森県鰺ヶ沢町にあることが分かった。
 青森県の西部、日本海に面した西津軽郡鰺ヶ沢町は津軽半島の付根にあたる港町であるが、筆者は以前、太宰治の随筆『津軽』を片手にその旅程をなぞったことがあり、その際に鰺ヶ沢町にも立ち寄ったのである。もう一つの目的が、鯨餅を探すことであり、小さな土産物店ですぐに見つけることができた。鯨餅本舗村上屋の鯨餅は、赤い包装紙が目立つ。大きく「鰺ヶ沢名産、鯨餅」と書かれている。中身は浅虫のものとほとんど同じだが、クルミは入っておらず、色合いも淡く白っぽい印象がある。もちもちした食感や甘さ控えめの味わいはよく似ている。しっとり感は菊屋のものに近かった。
 鰺ヶ沢の鯨餅は、北前船を通じてもたらされた京文化であると宣伝されており、かつては数軒の鯨餅屋があったが、現在は村上屋1軒になってしまったらしい。たしかに鰺ヶ沢は北前船の重要な寄港地として知られ、京文化の直接的影響があってもおかしくはない。青森県では東側の南部地方にあたる八戸市にも「ちぐさ菓子店えぼし本舗」が鯨餅を販売しており、これも食べたことがある。やはり赤い包装紙で、「八戸太郎、鯨餅」と書かれていた。中身は鰺ヶ沢の鯨餅によく似ていて、同じくクルミは入っていない。
 太平洋側の八戸に北前船とは印象が薄いかもしれないが、筆者の出身地である上北郡野辺地町と同じく、八戸も北前船の寄港地となっており、京文化の影響下にある。有名なところでは八戸市の三社大祭があるが、装飾過多の巨大な山車を引く祇園祭系の伝統行事である。野辺地八幡宮にも同様のお祭りがあり、筆者も小さい頃に近くで見た記憶がある。
 山形県最上地方には、「久持良餅」と書く鯨餅の文化があり、醬油や味噌味のものまである。原材料はほぼ同じだが、クルミが入ることが多い。筆者も数回取り寄せて食べたことがある。青森のものに比べると歯ごたえが強く、素朴な菓子という印象だった。
 山形県もやはり北前船のルートにあたり、最上地方は内陸部にあるが、最上川を下ればすぐに日本海である。筆者はまだ食べたことがないが、石川県金沢市の和菓子店「森八」にも鯨餅が売っている。鯨餅のキーワードは、日本海ルートで広まった京文化ということになりそうだ。
 さて、鯨餅が本当に京菓子なのかというと、江戸中期の享保3年(1718)に刊行された『古今名物御前菓子秘伝抄』という書物に京菓子の一種、鯨餅の製法が書かれているのである。本来は黒白の二層、あるいは黒黄白の三層になった餅菓子であるといい、この黒白の見た目が鯨の皮に似ているため、鯨餅と呼ばれることになったらしい。なお、筆者が大好きな支那学者、迷陽先生こと青木正児の著書『酒の肴・抱樽酒話』(岩波文庫、1989年刊)によれば、江戸初期までは確実に遡れる『酒餅論』の中に、「鯨餅」という餅菓子が登場する。とすれば、江戸初期には「鯨餅」はよく知られた存在であったということになる。

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