#78 新熊野神社の大樟
剣神社を参拝後、近くにある新(今)熊野神社を参拝した。新熊野神社は、永暦2年(1161)、後白河法皇の院御所として造営された法住寺殿の鎮守社であり、熊野信仰に篤かった後白河院が熊野権現を勧請したものである。ほぼ同時期に新日吉社も勧請されている。長寛2年(1164)には、平清盛の協力により法住寺殿の一角に蓮華王院(三十三間堂)が建立されている。蓮華王院の本尊は、蓮華王こと千手観音であるが、熊野権現の本地仏の一つが千手観音であり、当社との関連も指摘されている。なお、蓮華王院は東向きに建てられたが、これは千手観音が大悲観音とも呼ばれており、西方極楽浄土の教主である阿弥陀仏の大悲に由来するのかもしれない。
新熊野神社は梛(椥)の宮とも呼ばれており、椥(なぎ)の木がご神木とされている。現在の境内は、京都市東山区今熊野椥ノ森町に占地するが、かつては神域一帯に椥の杜があったのであろう。椥の木は常緑広葉樹であるが、古生代に生きた裸子植物の生き残りであり、生物学的には針葉樹に近い。日本列島では温暖湿潤の暖地にしか生息できない。柳田国男は黒潮に乗って海上の道を渡ってきた植物と言っている。もともと和歌山県に多く自生する木本であり、熊野三山のご神木として知られている。春日大社でも榊の代わりに椥を使うため、神社に多く植えられた。また、椥は凪(なぎ)に通じるため、海上交通の神木ともなったが、その葉が裂けにくい特徴を持つため、夫婦和合の神木でもある。
なお、現在の本殿・拝殿は南面するが、鳥居は東大路通沿いに東面している。鳥居脇に天然記念物ともなっている大樟があり、樹齢830年以上と伝承される雄大なご神木である。樹高22m、幹回り6.6mを誇る。樟・楠(くすのき)も常緑広葉樹だが、やはり暖地に生息し、関東南部から九州の太平洋沿岸、瀬戸内海沿岸域に多く分布する。
神社造営に際して熊野から土砂を運ばせたといい、大樟も周囲より一段高い盛土上に植えられている。苗木を熊野から運び、後白河院お手植えと伝わる。熊野権現が降臨される神木ということで、影向(ようごう)の大樟とも呼ばれている。また、大樟大権現、樟龍弁財天とも通称される。後白河院の腹痛を治したとの伝承もあり、大樟の一部を切り取った「大樟のさすり木」が置いてある。お腹の具合が悪い者はさすると治るという。
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