#87 エチオピア饅頭の話
エチオピア饅頭とは、高知県香南市にあった老舗菓子店、近森大正堂が製造・販売していた黒皮でこし餡を包んだシンプルな一口サイズの饅頭である。調べてみると、菓子店そのものが平成25年(2013)に閉店していた。一度食べてみたかったが、あとの祭りである。
材料原産地などエチオピアとは何ら関係のない菓子であるが、昭和初期の初代店主が、昭和10年(1935)~11年(1936)にかけて行われたイタリアによるエチオピア侵略(第二次エチオピア戦争)に際し、兵力に劣るエチオピア軍が勇敢に戦っていることに感激し、すでに売られていた黒糖の饅頭をエチオピアに改名したのだという。もともとは包装紙に黒人の姿が描かれていたが、人種問題を考慮して外されたらしい。饅頭の黒皮が黒人をイメージさせるため、これも批判的に紹介する人がいたようだが、現代的感覚で過去を断罪する愚かさを知るべきであろう。
なお、エチオピアを冠したのは、単なる店主の気まぐれではなく、当事の日本国内にエチオピアに対する深い同情の念が広く沸き起こっていたからに他ならない。玄洋社の頭山満を中心にエチオピア問題懇談会が結成され、義勇兵の派遣までを視野に入れた決議文を採択している。昭和10年(1935)6月4日にエチオピア政府に打電し、翌日にエチオピア外相ヘルイから返信が来たエピソードはよく知られている。結局、近代化された軍事力の前にエチオピア軍は敗退し、エチオピア皇帝ハイレ・セラシェ一世はイギリスに亡命、昭和11年(1936)5月9日、イタリア首相ムッソリーニはエチオピア併合を宣言する。
大東亜共栄圏構想に代表されるようなアジア・アフリカの植民地問題に関心を寄せながらも、日本政府はドイツ・イタリアと急接近することになり、満州国の承認と引き換えにエチオピア併合を黙認する。頭山満も昭和13年(1938)3月のイタリア使節歓迎大会に出席している。
平成8年(1996)、TBS系の某TV番組で紹介され話題を呼んだエチオピア饅頭は、その後、エチオピア大使公認菓子となって知る人ぞ知る銘菓とされていたが、命名の由来に隠された我が国とエチオピアの交流の歴史を、いま一度掘り起こしてみるのも決して無駄なことではないだろう。
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