#40 六条院界隈を歩く
今年1月半ば頃、京都を訪ねた際、下京区の六条院周辺を歩いた。以前、六条河原院や塩竃山上徳寺についても書いたが、このあたり一帯は寺町となっていて、渉成園から現在の五条通へ上がる富小路通を中心に小寺院が甍を連ねている。
この日は京都駅から歩いて東本願寺の前を右折し、渉成園を横目に間之町通を上がった。途中、かつての六条道場歓喜光寺(時宗)の跡地に建つ佛願寺(浄土真宗大谷派)に手を合わせつつ、富小路通から長講堂を訪ねた。とは言っても、長講堂は通常非公開であるから、山門の外から拝むのみである。長講堂(天台宗→律宗→浄土宗)は、正式には法華長講弥陀三昧堂といい、浄土教の流れを汲む。木曽義仲に法住寺殿を焼かれた後白河法皇が御所としたため、元六条御所とも呼ばれる。かかる御所内の持仏堂が起源であり、ここで崩御した後白河法皇の遺言により膨大な荘園領が当寺に寄進され、その寺領は第六皇女である宣陽門院覲子内親王(母は丹後局)に相続された。長講堂領は後世、後深草天皇を経て持明院統に受け継がれ、北朝皇室の経済的基盤となっている。
周辺の寺院も原則非公開が多く、負別山蓮光寺(浄土宗)や市中山金光寺(時宗)は由緒ある寺院ながら参詣は果たせなかった。なお、蓮光寺境内には長宗我部盛親の墓所があり、市屋道場とも呼ばれた金光寺は、かつては市姫神社を鎮守としていたことが分かっている。隣接する速成就院白毫寺(真言律宗)や薩摩藩島津家との所縁深い天照山極楽寺(浄土宗)など、小寺院ながら由緒正しい寺院が多い印象がある。
現在の五条通にほど近い佛性山本覚寺(浄土宗)も参詣したかったが果たせなかった。ここは鎌倉幕府の三代将軍源実朝の未亡人である本覚尼(坊門信清の娘)所縁の寺院である。斜向かいに塩竃山上徳寺(浄土宗)がある。
なお、一本東には河原町通があり、鴨川も近い。このあたりはかつての六条河原であり、古代以来、刑場や晒首の場所でもあった。保元の乱の平忠正、平治の乱の藤原信頼、木曽義仲らも首を晒されている。戦国末期には石田三成や小西行長、安国寺恵瓊らが処刑されており、前述の長宗我部盛親や豊臣秀頼遺児の国松も同様であった。
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