#77 剣神社参拝記
過日、所用で京都を訪ねた際、一条天皇皇后定子の陵墓である鳥戸野陵を参拝したついでに、京都市東山区今熊野劔ノ宮町に鎮座する剣神社も参拝した。地名の剣ノ宮とはかかる剣神社のことであり、今熊野一帯の産土神として知られている。近傍に所在する御寺こと東山泉涌寺(真言宗泉涌寺派総本山)の鎮守社であったともいう。
当社は子供の守護神、守り神として今なお篤い信仰を集めているが、元々は延暦13年(794)、平安遷都に際して王城鎮護のために都の巽(東南)の地に宝剣を埋め、そこに神殿を造営したとの伝承がある。もちろん実際にはよく分かっていないのだが、周辺の鳥辺野一帯は皇族はじめ貴人の葬送地でもあったため、偶然掘り出された鏡や刀剣を祀ったという見解もあるらしい。鳥辺野が葬送地となったのは平安遷都以降であり、当時はすでに古墳時代ではなく、墳墓に豪華な副葬品を埋める風習は廃れていた。ただし、少し離れてはいるが、鳥戸野陵が占地する丘陵には、その陵墓治定の基にもなった小円墳群が存在しており、宮内庁書陵部によって墳丘外形調査が行われている。その構築時期は不明ながら、古墳時代後期と想定されており、まだ刀剣類が副葬される時期にあたる。
筆者としては、当社が子供の守護神や病気平癒に関わる神社であることを踏まえると、後世、祈願の際に刀剣を奉納した者がおり、それに由来して剣神社と通称されたと考えるのが自然と思うが、いかがであろうか。
現在の境内はさほど広くはないが、拝殿前の二の鳥居の手前に「撫で石」があり、石を撫で、身体の悪い部分をさすると効能があると信じられている。筆者も腰と鼻と頭をさすっておいた。
祭神は伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)、邇邇藝命(ににぎのみこと)、白山姫命(しらやまひめのみこと)であるが、白山姫命が子供の守護神であるため、特に安産や子供の病気平癒、夜泣きに関わる疳の虫封じの神社となったようである。弓や灸に関わる神事もあり、すべて厄除けの意味合いを持っている。
阿吽形のトビウオが描かれた絵馬も有名であり、全国的にも極めて珍しく、絵馬コレクターには人気らしい。剣から連想される太刀魚がトビウオに似ているためともいうが、これも由来はよく分かっていない。
実際に訪ねてみれば分かるが、絵馬に書かれた祈願の内容は子供の病気平癒に関する深刻なものも多く、特に吃音を直したいという祈願が多かった。吃音は病気ではないが、子供や子を持つ親ならではの祈願なのであろう。筆者もその一人であるが、剣神社を参拝したのは偶然であるし、大人になってから神社に祈願するような話ではない。