#73 『馬上武芸篇』を読む
金子有鄰著『日本の伝統馬術 馬上武芸篇』(日貿出版社)は、日本馬術、武芸に関する名著としてその筋の方々には広く知られている。著者は弓馬軍礼故実司家芸州武田流を継承する古式馬術の専門家であり、家伝として伝えられていた馬上武芸の秘伝、神髄を公刊したとまでいわれている。武士道は「弓馬の道」ともいうが、馬上における武術、すなわち馬上武芸に武士道、日本武道の本質を見出そうとする。
本書の内容で最も心惹かれたのが、悍馬への頌徳である。悍馬とは駻馬・癇馬・汗馬とも書かれるが、気性が荒く、人の言うことをなかなかきかず、制御しづらい暴れ馬、荒馬、悪馬などと呼ばれる。近代以降、軍馬の発達とともに西洋馬術が我が国にも輸入されることとなり、悍馬を珍重する日本馬の伝統は否定され、悍馬は牡馬の去勢によって騙馬に成り下がった。本書によれば、悍馬を重視するのは古代末から鎌倉時代までの馬上武芸が一騎打ちを基本としていたからであり、室町時代以降、騎馬戦法が集団戦法を基本とするようになると、その妨げとなる悍馬を忌避する思想が広がっていったという。それでも戦国時代までは悍馬を求める大名も多かったが、近世は太平の世となり、ついには近代に至って悍馬よりも騙馬を重視することとなり、去勢の悪習によって南部馬など日本在来種は絶滅の憂き目を見ることとなる。木曽馬や御崎馬などわずかに日本在来馬は血統を残してはいるが、1500年以上の歴史を有するとまでいわれる甲斐駒もすでに生き残っていない。なお、道産子(北海道和種)は南部馬の後裔とされている。
馬の本性は臆病で、天敵から逃げることにあるという言説も流布されているが、日本馬の気性はとても荒く、牡馬は牝馬を争って体当たりを繰り返し、噛みつきもする。後足で蹴り上げるだけでなく、前足の蹄で踏みつぶすことも厭わない。西洋馬は地面に座る生物を怖がって踏めないというが、日本馬は抱きつく、食いつく、蹴るのが当然なのである。ましてや銜(はみ)や鞍(くら)はストレスでしかなく、人を安易に背に乗せたりはしない。獰猛な馬は戦場でも胆力を発揮し、敵中に単騎で突っ込み、歩兵を蹴散らし、騎兵に体当たり(馬当)し、噛みつき、包囲を突破したりもする。馬が臆病であれば、囲まれたら終わりである。「名馬はことごとく悍馬より生ずる」との格言も知られている。悍馬を表す悪馬の「悪」とは悪い意味ではなく、悪源太義平と同じく荒々しい猛者の意味である。対する良馬は、従順だが戦場では頼りない馬への皮肉であろうか。悍馬のままで人馬一鞍、人馬一体のパートナーとなれるかどうかが戦場での働きに直結するのである。悍馬もこれと認めた人には素直に従うという。「三国志演義」における関羽と赤兎馬、「北斗の拳」におけるラオウと黒王号のようなものであろう。
ちなみに、人馬一鞍とは、馬術の神髄とされる「鞍上に人無く、鞍下に馬無し」、つまり馬と人が鞍を介して一体となることを指した言葉であるが、本書の著者は人馬が心を通わせれば、鞍さえも邪魔となるため、やはり人馬一体が相応しいとまで言い切っている。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?