#72 角川源義の俳句
最近、角川春樹著『角川源義の百句』(ふらんす堂)を読んでいる。角川源義は言わずと知れた角川書店(現株式会社KADOKAWA)の創業者にして、本書の著者である角川春樹の実父でもある。ここでは角川一族の話はしないが、文学博士の源義は国文学者でもあり、俳人としても著名である。筆者は特に、源義の俳句には心打たれるものがある。
筆者が角川源義の名を知ったのは、本書にも収録されている一句「白桃を剥くねむごろに今日終わる」の添えられた俳画を考古学の師匠の自宅で見かけたことが契機であり、発掘現場に向かうために常磐線に乗って福島県いわき駅から双葉駅まで通っていた頃にも、源義が勿来の関を詠んだ一句「ここすぎて蝦夷の青嶺ぞ海光る」を知ることとなった。かかる一句も本書に収録されている。
折口信夫の『古代研究』に触発されて國學院大學に入学した源義は、国文学だけでなく国史にも造詣深く、歴史を愛する一面があった。富山県中新川郡東水橋町(現富山市)の商家の生まれであった源義は、敗戦後の混乱の最中であっても父からかなりの現金をもらったらしく、当初は日本文化協会(戦後GHQにより解散)のような研究機関を設立したいと考えていたようである。柳田國男に相談したところ、そんなお金はすぐになくなってしまうと明言されたため、継続性の高い出版業を志したとされている。戦後すぐの昭和20年(1945)11月に東京都板橋区小竹町(現在の練馬区小竹町二丁目)で角川書店を開業した。筆者が以前住んでいた練馬区桜台の自宅にも近かったため、跡地の説明板を見たことがある。「角川文庫発刊に際して」の一文は、岩波文庫の「読書子に寄す」に匹敵するほど感動的であり、「第二次世界大戦の敗北は、軍事力の敗北であった以上に、私たちの若い文化力の敗退であった…」で始まる。荒廃した祖国の文化再建に臨む出版人の心意気を窺うことができる。
源義の創刊した俳誌『河』を引き継いだ角川春樹が選んだだけあって、本書に収録された百句はもちろん名句ばかりである。関連句として春樹自身の俳句があまりに多く掲載されているのは閉口したが、まあ、身内なればこその感興であろうか。俳句の素晴らしさは、詠む人、読む人の感性に関わるものであるから多分に主観的となる。偶然手元にある俳句文学館編『ハンディ版入門歳時記(新版)』(角川書店)に収録されている源義の一句「日脚伸ぶ蓮田の果ての恋瀬川」は、筆者にとっては唸るような名句であった。