#45 天人の譜
京都学派の東洋学者、長廣敏雄博士(1905~1990年)の随筆集『天人の譜』(淡交新社、1967年刊)を入手できた。詳しい内容は知らなかったが、筆者が長年興味を持っている人頭鳥身の迦陵頻伽や共命鳥についての記述があり、十数年来探していた。博士は京都帝国大学で濱田耕作門下として学び、東方文化研究所(現在の京都大学人文科学研究所)では梅原末治の助手として水野精一らと大陸へ渡り、南北響堂山石窟や龍門石窟、雲崗石窟の調査を行っている。もちろん、筆者にとっては学史上の人であるが、戦時中に実施された雲崗石窟の調査日誌『雲崗日記』(NHKブックス、1988年刊)を楽しく読んだことがあった。
天人とは、文字通り天上界の住人であるが、造形としては天衣をまとった天女が空中を飛翔する姿で表されることが多い。実際には飛天とほぼ同義として扱われているようだ。飛天とは飛翔する天人であり、極楽浄土の住人として阿弥陀如来の周囲を飛翔、荘厳する存在である。華籠を持ち散華したり、音曲を奏でる。平等院鳳凰堂の雲中供養菩薩像も同様であろう。
本書『天人の譜』には、他にも東寺所蔵の「牛皮華鬘」の迦陵頻伽や東福寺三門天井画の迦陵頻伽、共命鳥の写真が掲載されているが、中尊寺所蔵の「金銅華鬘」は、先月まで東京国立博物館で開催されていた特別展「中尊寺金色堂」にも出品されていた。我が国の仏教美術の中でも迦陵頻伽はたまに見かけるが、双頭の迦陵頻伽である共命鳥の造形は珍しいものである。前述の東福寺三門天井画や瑞巌寺本堂障壁画(三頭の共命鳥)以外は寡聞にして知らない。迦陵頻伽も共命鳥も浄土で仏を荘厳する役割は飛天とほぼ同じであり、散華し、楽器を持っている姿で表される。
筆者が迦陵頻伽や共命鳥を知ったのは、学生時代に訪ねた中国西域の石窟寺院の仏教壁画であり、浄土変相図と呼ばれる極楽浄土を表現した壁画に多く見られる。やはり仏を荘厳する役割を担っており、散華や楽器を伴う点も共通している。かかる中国仏教の造形がそのまま招来されたものらしい。我が国で実見したものでは、比叡山根本中堂の内陣上部、高台寺開山堂の内陣上部、円成寺阿弥陀堂の来迎柱、方広寺鐘楼天井画、英勝寺仏殿天井画が印象深い。
なお、迦陵頻伽は梵語カラヴィンガの音訳であり、キンナラと同じくオリエント発祥の人頭鳥身の造形が起源とされている。共命鳥の説話は中央アジアで付加されたらしいが、西域の仏教壁画は極めて中国的であり、唐代における中国仏教の拡散という文脈で、西方に逆流したものと考えられる。ほぼ同時期に我が国に招来されていることも無関係ではあるまい。