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#86 斉東野人の序

 最近、喜田貞吉博士の随筆集『齊東史話』(立命館出版、昭和10年刊)を入手した。まだ学生時代の頃に本書の存在を知ってから四半世紀以上が経過したが、念願叶ってとはこのことであろう。装丁は見たことがあったが、90年前の造本は美しく保たれており、昭和初期の製本らしく背丸上製本、赤の背継表紙に金文字、本体はまるで夜空の銀河の如くである。内容が読みたかったのはもちろんであるが、図書館で読めるものを今日まで我慢したのは、かかる美本を書架に飾りたかっただけかもしれない。
 書物のデジタル化が進む昨今は、造本の美しさやこだわりはますます等閑視されようとしているが、それでも筆者は造本にもこだわりたい。屁理屈かもしれぬが、万人に読んでもらえればよい、内容だけこだわればよいものであれば、結婚式や成人式、七五三なども無用の長物であろう。自ら産み落とした子供のような文章たちを美しく着飾ってやりたいと願うのは、単なる虚栄心ではなく、純朴なる親心である。
 さて、『齊東史話』は、斉東野人(せいとうやじん)を号した歴史学者、喜田貞吉博士の面目躍如たる随筆集であるが、そもそも「斉東野人の語」とは、信用ならぬ田舎者の言という意があり、悪い意味合いで使われる言葉である。『孟子』に出典があり、斉の国(現在の山東省周辺)の東部は教養のない田舎者が多く、その言は信用ならないことに由来する。徳島県の百姓の倅で「濫書癖」を自認する著者の謙譲によって命名されたものであろうが、当時61歳の博士は自序の中で、自らの信ずるところに従って論文雑録を書き散らかしてきたが、この歳になって病気(癌)が発覚し、これまでの研究・見識を少しでも整理しておきたいとの願いから本書を編んだと書いている。手術は成功するが、本書刊行の4年後に博士は逝去されている。
 筆者は当時の博士に比べればまだまだ若く、全くの健康体ではあるが、本noteを始めたきっかけは、歳を取り、死ぬまでに自らの記憶を少しでも文章にしておきたいと思い立ったことにある。濫書と言えるほど文筆を重ねているわけではないが、それを標榜するところもあり、かかる『齊東史話』の序に感ずるものがあったのである。

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