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スナップ写真について。(被写体への注視、感覚のセンサー、イメージの投影)

過去の自分語りばかりするのも気が引けるのですが、今回も以前の自分はどうだったか、そして現在はどうか、その比較をした時、話題になるだろうと感じたタイミングで走り書きをしている次第であります。

高校生だった18歳から20代前半にかけてコンパクトカメラを常用していました。

ちゃんと写っているかどうかはさておき、日々の中で自分が何かに反応したタイミングで直ぐにシャッターを切りたいという欲望の下、大量にフィルムを消費しておりました。

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当時のメインカメラはContax T3とKlasse Wでした。

今や壊れてしまって修理も出来ないものですが、そのカメラで撮影したネガフィルムのストックはかなりの量が残っています。

昨今では、国内外問わず世界的にフィルムの需要が高まってきていますね。

インスタグラムなどのSNSで写真をアップすることが普通になったことが背景にあるのではないかと思います。

SNSで発信する為に、人とは異なる写真が撮れるカメラを求める人が増えたからでしょうか、フィルムカメラの人気も高まり、それに伴う中古市場価格の高騰が著しいため、コンパクトカメラは恐ろしい値段になっています。

が、当時T3なんかは掘り出し物が4万円でお釣りが来るくらいで買えました。(現在では10万円を軽く超えます)

ちなみにフィルム自体も35mmのカラーネガで400〜800円程度が相場だったのでやるせない気持ちになります。

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今、自分はAF一眼レフを普段使いしていますが、機動性やフレーミング精度(軽い分構え易くて)はコンパクトカメラには遠く及びません。

その代わり、見たままに撮れること、AFの性能が高いこと、ピンの位置を確認しながら撮影ができること、といったメリットもあります。

そのせいでしょうか、あれ、これ、それ、と言った物体を拾い集めるような写真が増えてきました。

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以前は「こんな道端の誰も見ていないコンクリートの隙間にそっと咲いていて健気な花だな」とか、誰かと一緒に居たらば「彼女の横顔に光が当たっていて美しいな」など…今、自分が対峙している光景から何かを感じたり、光景に想いを馳せたりすることが多かったのですが、全く変わってしまいました。

それよりも、写真になったらどう見えるだろう?や、このライティングなら立体感が出て良さげだろう、これはオシャレだろうか、など、なんともまぁ、写真になった後の事を考えています。

これは、世界に対してのセンサーが鈍っている、由々しき自体なのでは無いだろうかと、感じています。

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何故なら明らかに、過去の写真と比較して自分の写真が魅力的に思えないのです。

以前はアホみたいに自信満々だったのに、いつしか、自分の写真が好きになれなくなって、シャッターを押した回数だけ「あれ?こんなもんだったっけ?」などと思うことが増えてきています。

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それでもどうしても、フィルムで写真を撮ることが生きがいなので、撮影し続ける他にありません。

それで、結局自分は写真を撮りながら何をしているのか、客観的に見て考えてみることにしました。

①イメージの投影

先ほど、例に出した「こんな道端の誰も見ていないコンクリートの隙間にそっと咲いていて健気な花だな」という気持ちでシャッターを切った事は、花に対しての擬人化で、自分の持っているイメージを投影をしていることになります。

道端の花はどう撮ったってそれ以上でも以下でもなく、まごうことなき道端の花であり、写真を見た人が自分が感じたものを全て感じ取ってくれるとは到底思えません。

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健気に咲く、小さなお花に一筋の光が当たっていたとすれば、いくらかの人にはそういった意図を汲み取ってくれることもあるとは思いますが、撮影した時に浮かんだイメージの投影が結果と結びつくかどうかは、後になってしか分かりません。

そして往々にして一致するとは限らないものです。

恐らく、撮影時のセッティングや、レタッチなどで作為的に行わなければ伝わりづらいでしょう

ただそんなことをしてしまえば、ある程度の人を欺く事はできるとしても、スナップ写真として自分が納得できるかは…どうでしょうかね。

この写真にはそういったイメージや意図がある!どれだけ言い張っても分かってもらえないことが殆どです。

故に、被写体に思いを馳せてシャッターを押したとしてもそれは必ずそう見えるという確証は無いので、後から写真を客観的に捉える目が必要になってくるのだと思います。

②被写体を注視すること。

被写体をよく見ることは重要だと聞きますが、被写体をよく見て絶好のタイミングにシャッターを切る事はコンパクトカメラ時代の方が出来ていたかも知れません。

フォーカシングも感覚的な操作感で、何より本体が軽い為、シャッターを切るタイミングに集中できるカメラだったので、大きなフィルム一眼とは大違いです。

実は、腕が鈍っているからか、ポートレイトを撮影する時に三脚とレリーズを使用してじっくりタイミングを伺ったとしても、目がつぶっていたり、フレーミングがアンバランスだったりすることが多いです。

単純にシャッターを切る回数が減ったからか、この感覚は完全に鈍っています。

反省しています。笑

撮影枚数を増やして感覚を取り戻すしかないのでしょうか。

③感覚のセンサー

エモい写真といえば、スナップ写真においてもライティングが印象的な場合が多いですね。

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逆光などのハイコントラストな写真はめっちゃエモいですよね。

スナップ中に自然光の中で印象的なライティングを察知することが上手だったと自負があるのですが、現在やっぱりそういった感覚も鈍っています。

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スナップの要領で撮影するポートレイトは何故か、ちゃんとセッティングしたポートレイトより魅力的に感じることが多いです。

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以前、「光にばっかり寄って言って写真を撮るなんて虫みたいだ」と揶揄されてから、良さげな光で誤魔化すのはやめよう!と思ったことがあるのですが、いや、全然印象的なライティングの写真って好感度が高いと今更ながら思います。

そして、そういった自然光の中の印象的なライティングに対するセンサーがある事は強みだとすら感じています。

なんせ今はそう言ったセンサーが鈍っていますから、渇望しております。

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SIGMA 40mm F1.4 DG HSM Art
NiSi 82mm Black Mist Filter 1/8
Canon Eos 1V
Kodak Portra160
Kodak Ektar100

要するに、日常の中でももっとたくさん撮影して感覚を取り戻さなければなりません。

フィルムの価格高騰が続いている最中、厳しい状況ではありますが、頑張っていきたい次第であります。

しかし、もうデジタルカメラに乗り換えたいというのが本音。

カラーネガは高いし、白黒フィルムだとハイコントラストの写真ってプリントし辛いという面もありますからね。

いよいよ、デジタル写真に乗り換えることを真面目に検討しなければならない時期なのかも知れません。

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