気持ち
絵を描くということ
絵を描く。
「自分の好きなよう」に、自分に「自信を持って」、白いキャンバスを埋めていく。
でも私は心からそれが出来ない。とても弱い。
いつも、絵を描いている。"目に見えない人の"ために。
SNSに載せる。承認欲求を満たすために。
でもその行為をするごとに、心が擦り減っていく。
もちろん、嬉しい。
評価をしてくれるのも、褒めてもらえるのも、フォローしてもらえるのも。
けれど嬉しさが増していくのとともに、どんどん追い詰められていく。
目の前は崖のように、前が見えない。
自由になりたい。
縛られるのが辛い。
でも、離れられない。
ふと、アンケートを取った。
「私の絵は好きですか」
選択肢は、「すき」か「きらい」の二つ。
もちろん分かっていた。私の絵が嫌いだと言う人もいることくらい。
それはそうだろう。全員が全員「すき」に投票したら、それこそ耳を疑う。
分かっていたのに。実際に投票を見ると、また違う種類の感情を抱いた。
悲しいでもなく、案の定でもなく、ただ、負のエネルギーを持った「無」。
今の私の語彙力ではこう表現せざるを得ない、そんな感情。
ただ断言は出来る。
悲しくはなかった。
好きか、嫌いか
私は本当に絵が好きなのだろうか。
そう思ったことがあって、絵から離れようとした。
けれど手は勝手に動いて、絵を描いている。
確信した。私は絵が好き。
その相手が、自分ではなく、人であるだけ。
今はきっと、どうすることも出来ない。絵から離れることはもちろん、SNSをやめることも。
私は諦めた。承認欲求に抗うことも、「絵が好き」という底から湧き出る感情に抗うことも。
だから私は好きなように描く。別に好かれたいなど思わない。
好いてくれたら「ありがとう」、好かれなければ「ああ、そう。じゃあ他の人の絵を見て」。ただそれだけの話。
これからもきっと私は「自分が」好きな絵を描く。
もしその思いが崩れたら、私の中の私は消えるだろう。
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