ツイテないカナと、その周りの人々 その②

那覇の小さなアパートで、二人の新婚生活が始まった。
私の父の母(祖母)は、小さな島に帰る前に、私の母に言った。

「あんたの財産の管理はすべて幸次に任せて、あんたはな~んにも考えなくていいんだからね、ほら、幸三も弁護士だし、そういうこと詳しいんだよ。だから、安心しな。あと、子育てのことは幼稚園の先生である末っ子の篤子に聞きなさい。あんた、何にも知らないだろう?あんたと違ってあの子は何でも知ってるんだから。」

このセリフで、母は潤香家の目的は母の財産だということを悟った。結婚式にお金をかけたのも、その何倍ものモノが戻ってくると算段したからに違いない。

母には財産はないが、母の祖父は小さな島では土地持ちだった。税金対策のために、その土地の一部を嫁名義にしたりしていたのだが、その祖父もなくなり、嫁である母の母が相続する形になり、その母の母が亡くなったため、自動的に表面上は母と母の姉のものとされている土地が3つほどあった。

だが、名義変更はされておらず、母の祖父の直系家族には、いまだに自分たちのものだと思っているものもおり、母自身はあまりその土地を自分のものと認識のないまま放置していた案件だった。

その話をどこからか聞いた父の母は、それも頂こうと狙っていたのである。

 父は6人兄弟の次男である。だが、正確には父の母にとっては長男でもあった。父の兄は父の父の亡くなったお嫁さんの息子で、父の母はその人が亡くなった後、後妻にやってきたのだ。そこで父の母は、父を筆頭に5人の子供を産む。私の父である幸次、弟の幸三、長女の美恵子、次女の登美子、末っ子の篤子が実子で、長男の篤志は父の父の連れ子である。

 父の母は、兄弟6人に一つの約束事をさせた。長男は長女の面倒を、次男は次女の面倒を、末息子は末娘の面倒を見ること。
「血は水よりも濃し」が潤香家の合言葉だったが、そもそも、父の母になついてない連れ子の篤志はその言いつけを守らず、幸三も幼い頃から体が弱かったため、弟妹たちの面倒は自然と幼い頃からの父の役目になっていた。

 そのうち、皆、父よりも先に結婚するのだが、父が責任を負うべきとされていた次女の登美子はガンで夫を早くに失くし、3人の子のシングルマザーとなっていたため、父が自然と彼女の子供たちの父親代わりになった、
 末っ子の篤子は、小さな会社の社長と結婚し、こちらも3人の子供をもうけているのだが、末っ子ということで父の父が猫可愛がりしたせいで6人兄妹の中でのわがままっぷりは天下一品だった。

そんな感じだったので、この次女と末っ子は私の両親が新婚生活を始めたアパートの近くに住んでいた。次女は同じアパートの階違いに、末っ子は歩いて5分のアパートより大きなマンションに。兄や姉よりも大きなマンションに住んでるところがいかにも末っ子の篤子らしい。篤子と登美子、幸次が近くに住んでいるのも、多分、父の両親が末っ子を心配して、彼らの故郷と同じように小さな「潤香村」を那覇に作ろうとした結果だ。(那覇なのに…)

結婚して、5年の間は子供に恵まれなかった。と、いうのも、夫婦はセックスレス。母は、祖母にせっつかれ、子供欲しさにとても苦悩したらしい。

多分、今、思えば、父は元カノをずっと思ってた。だったら、早めに離婚するか、結婚する前に阻止すればよかったものの、父は私にとって未だに理解不能の存在である。

少し大きくなって、なぜ、母と結婚したのか?と何度か聞いたが、返ってくる答えは毎回、「おばあちゃんが決めたから。」である。そのあとは無言で、それ以上聞くなオーラを出してくる。父へは「そこにあなたの意志はないの?」って質問を聞きたかったが、死ぬまで聞けずに終わった。

1980年、結婚から5年。子供をあきらめかけていた時、待望の私が生まれる。結婚当初から、仲が悪いで親戚の間で有名な夫婦であった、私が出来たのはある意味、「奇跡」と言える。まあ、その頃、モラハラって言葉が無かったから、母自体もモラハラを受け続けていることに気づかなかったお陰で生まれたというほうが正確かもしれないが…。
妊娠中、母は父の母から「本当に幸次の子か?」と言われたらしいけど、生まれてきた私の顔が父にそっくりなのを見て納得したらしい。

「本当に息子の子か?」なんて言っちゃうあたり、あの人はこの結婚が「誘拐婚」だったという自覚はあったということか?

少しは罪悪感はあったのだろうか?

これは幼いころからの永遠に解けない私の疑問である。

祖母にとっては、長男が40代後半でできた待望の孫。沖縄にいるすべての親戚に電話をし、私の生まれる日にできるだけの人数を呼び寄せた。

「カナが生まれる!っていうんで、すっごくたくさんの人たちが大騒ぎして病院に押し寄せたのよ」

という伝説を作って見栄を張るためか、もしくは、本当に愛情があってのことなのかは今となってはわからないが、ともかく、たくさんの人たちが出入りしたという話を何度も聞かされた。

祖父母は私が「息子」でなかったことに少しがっかりしてたらしいが、それよりも私が父に似た孫ができたことを喜んだ。

祖母は少しアジア人とは違う顔をしている。小さな島には昔、ヨーロッパの船が難破したという伝説があり、その後、その血脈がいまだに脈々と受け継がれているという都市伝説?があった。

私の遠い親戚には目が青く、色が白い金髪の青年が隔世遺伝で生まれたという噂もあり、もしかして、祖母もその血を継いでいるのではと言われるくらいうっすら欧米人顔をしていた。

その系統で、父もそのほかの父の弟妹達もアジアっぽくない顔をしていた。

もし、私が100%アジア人顔をしていたら、祖母は血縁を疑っていたと思うが、生まれて出てきたのが、目が大きく二重で鼻の高い色白の子だったため、安堵したと思う。

「どこをどう見ても幸次の子ってわかるわね。まるで、幸次の子って名刺を顔に貼って生まれてきたみたい。迷子になってもすぐに探し出せるわね。」

と、幼い頃、何度も聞かされた。

 何はともあれ、名前は「カナ」に決まった。小さい島の島言葉で「愛す(カナス)」という言葉から来ている。「かわいい」とか「愛すべき存在」などという意味だ。

 母は、総子と名付けたかったらしいが、ここでも、母に権限はなかった。
祖母が「あんたは何もわからないんだから、幸次の言う通りにしなさい。」と、姓名判断本を何冊も読んだとされる父だけが私の名前を決める権限を持った。

 他にも源氏名みたいな名前の候補が名を連ねてたらしく、小さい島で色々なスナックを遊びまわっていた父が気に入った子の名前をリストアップしている気がして、一番、まともなカナに仕方なく母は首を縦に振ったのだった。

後に、父はどれだけの多くの姓名判断本を読みすごく素敵な名前を決めたかを私に自慢し続けたが、今となっては、怪しいところである。

もしかして、元婚約者の名前だったかもと思って、名前を大人になって名前を調べたが、梅さんだったので安堵した。

同じ名前なら最悪すぎる。と思うと同時に、

生まれてこの方、父が私の前で大笑いしたり微笑んでいるところを見たことないため、もし、梅さんと結婚してたら、あの人は家でも笑っていたのだろうか。と思ってしまう。

だから、ほんと、梅さんと結婚すればよかったのにと、娘ながら未だに思う。

ここで、私が見た父のことを少し書こう。
 
 あまりにも父の喜怒哀楽がなさ過ぎて、基本、ずっと無言。気に入らないときや自分の言うことを聞かないときにここぞといわんばかりに「声を荒げる」のが私の父。特に、女子供がいうことを聞かないとか、女のくせに台所仕事を男に任せてみたいな男尊女卑的なことが気に入らない。本人は男尊女卑とも思ってないから、そこが余計に問題なのである。あまりにも気に入らないときは無言で無視をし続けるので、祖母の言いなりのマザコンモラハラヤローって以外、マジ、謎な人だ。しかも、父方の親戚がいかにもモラハラしても、黙って見てるか、あちら側に立った発言をするかで、一度も、彼らの親戚から我が子や妻を守った事ない人である。

そして、私が見た母。

母は逆で喜怒哀楽が激しい人。独り言も含めて、24時間ずっと話続けている。静かなのが好きな父にはどう考えても向かない。しかも、調子に乗ると余計なこと言って父を怒らせるし、要領がとても悪い。父とは世代が違うので、父の琴線に触る男尊女卑的なことで反論すると、「女のくせにクチゴタエしやがる!」と怒鳴られる。後に、発達障害の可能性を指摘されることがあるのだが、詳しいことは後に書くとしよう。

どう考えても、超正反対の二人なのだ。

そんな二人が愛のない新婚生活をしていたことは、私にとって想像もつかない。私だったら、すぐに見切りをつけて、別の人生を歩んでた。

しかも、明治生まれの祖母はいつも「幸次を立てなさい」が口癖の姑。会うたびに、行ったこともない鹿児島の話をするのが祖母だった。

「鹿児島では、いつも、旦那様の洗濯物は一番高いところに干して、女や子供の洗濯物は一番低い位置に干すそうだよ。あんたは何もわからないからね、そうやって、いろんな面で幸次を立てなさい、それが優れた嫁というものだよ。」

父の理想の妻が正座で三つ指たてて、仕事から帰ったら、迎えてくれるってのだったから、母親が妻にそういえば、自分の理想的な妻が確実に手に入ると、余計に思ったに違いない。

1970年代後半なのに、未だにこの「潤香家」では、明治時代が存在していた。祖父母にとっても、父にとっても、その明治時代的考えが大正解で、この「潤香家」には1970年代後半なんて存在しないかのようだった。
その明治時代的考えに異を唱えると、「女のくせに生意気な!口答えするな!」とひどく怒鳴られる。それが怖くて母は、言い返せなかった。
かといって、自分の娘たちが同じ仕打ちを受けたら、黙ってないのが家の祖母。その矛盾を感じながらの愛のない新婚生活、マジ、ホント、考えられない。

そう考えるのは、私が幼稚すぎるからなのだろうか。

それとも…。

いいなと思ったら応援しよう!