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難しい内容は「表現」をやさしくして、わかりやすく伝えよう

先日、私が書いたコラムが慶應義塾大学SFC研究所 健康情報コンソーシアムのWEBサイトに掲載されました。このコンソに関わるメンバーが連続してコラムを執筆するという企画なのですが、そのトップバッターになってしまい、ちょっと気恥ずかしくなっています。

このコラムでは、新型コロナでより一層の難しさを感じる、医療・健康と一般の方とのコミュニケーションをより良くするために、小さな改善から始めてみませんか?という提案をしました。

私は2021年4月から健康情報コンソーシアムの活動に加わりました。そのとき、渋谷駅と原宿駅に掲載予定だった、若者向けの新型コロナ感染拡大防止啓発ポスターのキャッチコピーを一緒に考える機会をいただきました。

当初、キャッチコピーは「感染経路は目鼻口」というリズミカルな表現でした。ただ、もう少しわかりやすく伝えられるのではないかと思い、「『ウイルスは、手から目鼻口へ』はどうでしょうか?」と提案しました。最終的に「あなたの」がさらに加わり、「ウイルスは、あなたの手から、目鼻口へ」になった、という経緯があります。

私が提案したのは「経路」という言葉をやめて「〜から〜へ」にしましょう、ただこれだけです。でも、「経路」という二字熟語をやめることによって、むしろわかりやすく感じられるのではないでしょうか?

少し前置きが長くなりましたが、難しい内容をわかりやすく伝えたいとき、「内容」を変える(減らす)のではなく、「表現」を替えることを私は多くの専門家に提案したいと思っています。具体的にはどんなことに注意すれば良いか、この記事で紹介します。

二字熟語を崩してみる

内容は変えずに、二字熟語を崩してみるのはかなり効果的です。例えば「感染」なら「うつる」、「行動」なら「うごく」、「改善」なら「より良くする」といった具合です。

二字熟語を崩すことには、大きく3つの効果があります。まず、二字熟語は文章表現でよく使われるので、崩すことで口語表現に近くなります。どのくらいの口語かというと、小学生でも普段から使いそうな表現くらいが良いと思います。探し方のコツは後述します。

2つめは、ひらがながやさしいイメージをもった表現だからです。この記事でも実際に使っているのですが、「易しい」よりも「やさしい」、「分かる」よりも「わかる」方が、文字の密度が小さくなり、よりやわらかな表現になります。

全部ひらがなにしてしまうと返って読みにくくなったり幼稚な印象を与えたりするので、漢字とひらがなをうまくブレンドして、バランスをとるのがオススメです! 

カタカタは少し引き締まる感じがあって、これも使いようですね。

体言止めをやめてみる

二字熟語の使用をやめることで、最後にもう一つ効果が生まれます。それは、体言止めをやめることができるということです。

例えば「二字熟語の使用」は「二字熟語を使う」にすることで、名詞節から一つの文に変わります。日本語の文章構造は、修飾語が増えれば増えるほど、主語と述語の距離が遠ざかっていきます。日本語は最後まで聞かないと文章の意味が理解できない言語なので、修飾語が増える→文章が長くなる→何が言いたいのかわかりにくくなる、という負のスパイラルが発生します。

中でも「〜の〜」「〜についての〜」「〜における〜」のように、二字熟語の使用を許すとどこまでも伸びていくことができてしまいます。論文や公文書、契約書などではより正確な表現が求められるため、ある程度仕方ないところはありますが、それではより多くの人に伝わる文章からは遠ざかります。無論、小学生にも伝わりません。

二字熟語をやめることで、短い文章を作る癖が生まれます。これを意識するだけでも、かなり表現がやさしくなります。

小学生向け国語辞典と類語辞典を駆使する

「小学生でもわかる言葉って言われても分からんわ!」という方でもそうでない方でもオススメしたいのは、小学生向け国語辞典と類語辞典です。この2つは私にとってはなくてはならないツールです。

通常の辞書は、言葉の意味がわからない時に引く方が多いと思いますが、小学生向け国語辞典と類語辞典は、表現をつくるときに役立ちます。

小学生向け国語辞典は、文字通り小学生の学習のための教材です。そのため、言葉の意味を説明する文章もやさしい日本語で書かれています。特に抽象的な概念の説明文が秀逸で、大人も「あーそういう意味だったんだ!」という発見があります。子どものいる/いないに関わらず、家庭に1冊あると便利です。

類語辞典も、近い意味で他にどんな表現ができるかを調べる際にとても役立ちます。難しい表現からやさしい表現までさまざま出てきますので、時々使うと文章表現の幅が広がります。

抽象的な概念を意味する言葉は極力使わない

ただ、表現上どうしても崩すことのできない二字熟語もあると思います。そういうときは、その語句が抽象的かを判断すると良いでしょう。特に、物質として存在しない概念や観念を指す語はできるだけ使わずに表現できないか、私はよく悩みます。

冒頭で述べた慶應義塾大学SFC研究所 健康情報コンソーシアムに、私は科学コミュニケーターとして、参加しています。そんな私がなるべく使わないようにしている言葉の第一位は「科学」または「サイエンス」という語です。肩書きで使っているから矛盾しているんですけどね・・・(苦笑

研究者の目線からすれば、「科学」や「サイエンス」は空気と同じくらい身近にあるものですが、大多数の人にとっては、一義的に意味をくみとることが難しい表現であるという自覚は大事だと私は思います。

本格的な「科学」や「サイエンス」に初めて直接触れることができるのは、多くの場合大学の卒論や卒研のあたりではないでしょうか。

現在、日本の高校生の約半分は就職します。年齢があがればあがるほど進学率は低くなりますので、日本社会全体で見れば大学を卒業している人の方がマイナーです。さらに、大学によっては卒論や卒研がまともなレベルに達しないことも珍しくありません。大学院進学となると、さらにレアな存在になっていきます。

「科学」や「サイエンス」はおそらく誰でも一度は聞いたことのある言葉です。ですが、意味を実感できる人は少数です。分野によっても科学の方法論が違いますから、同じように理解するのは非常に難しいのです。なので私は、本当にそれを使わないと説明できなかったり避けようがない場合でない限り、「科学」や「サイエンス」という語は使いません。

おわりに

「内容をわかりやすく伝えてほしい」という社会からの要望は、医療や健康分野だけでなく、政治や経済、法律、そしてサイエンスなど、多岐に渡ります。でも私は内容こそ大事だと思うので、内容を減らすのではなく、内容の表現を変えることはできないかといつも考えています。

私の考えに共感していただけたら幸いです。また、もし「わかりやすく伝える」ことでお困りの方がいれば、ぜひ遠慮なくお声がけください。

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漆畑文哉
最後まで読んでくださってありがとうございます!

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