文章を書く力が衰えている
noteを最後に更新してから、気づいたら2年近く経っていました。
というわけで、今回は自戒を込めた最近の私の様子について書いてみようと思います。
今回のタイトルにもあるように、最近、文章を書く力が衰えているように感じます。執筆はスポーツと同じで、やり続けないと年齢を追うごとに衰えていきます。
厄介なことに、書くことは思考と深く結びついています。つまり書かないということは、思考が整理できなくなっていくことを意味します。怖いですよね。でも実際2年もnoteを放置していた私は自覚症状として文章を書く力の衰えを感じているわけです。
ではなぜ書かなくなったのか、まずはそこから整理しながら、文字通り書く運動をしていきます。
目的がないと書かない→書けないの負のスパイラル
なぜ書かなくなったのかというと、私の場合、書く目的を失ったのが大きな要因の1つです。
約2年前、私はそれまでフリーランスで活動していた生活から一転して、小学校の教員に転職しました。教職に就くこと自体は初めてではありませんでしたが、今なおそれなりに慌ただしい毎日を過ごしています。
教育という仕事を中心とした生活になると、自然と教育について考える時間が増えます。けれどここで一つ立ちはだかるのが、守秘義務です。要は、普段仕事でしていることをむやみやたら書いてしまうと、守秘義務を破ってしまう恐れがあります。
ソーシャルメディア上には匿名を盾に平気で守秘義務を破って所属校の個人情報を垂れ流しているアカウントも見られますが、実名で発信している私にはそれはできませんし、たとえ匿名アカウントであっても倫理的に行うべきではありません。
ただその結果、外部へ発信することのリターンよりもリスクの方が高まることを建前にして、書くのをやめてしまっていたのが私なのです。
しかし、世の中には教員という忙しい仕事の中でも、本を書いたりnoteで有益な情報を発信し続けている人は大勢いるわけで、私の理由は言い訳に過ぎないのです。
誰に、何を発信し、どんなリターンをもたらすのか、そこが明確になっていれば書く目的は見つかるはず。探すのをやめてしまったが故に書くのをやめ、書くのをやめたが故に書き方を忘れてしまった、というのが実際のところなのです。
noteに書くのは文章を書く良いトレーニングになる
今回、この記事をnoteで書こうと思ったのは、書かない→書けないの負のスパイラルから抜け出すために、自分の思考を今一度整理するためです。つまり、自分のために、自分に向けて書いています。
ここまで読んでくださった方、申し訳ない。
ではなぜnoteに書いているのか。
それは読み手となるユーザーがいるからに他なりません。
今回私が記事を書いている理由は、この記事のタイトルである「文章を書く力が衰えている」ことに対する儚い抵抗です。自分の日記や手帳に書くだけなら、思考の整理には役に立つでしょうが、それでは文章を書くトレーニングにはなり得ません。たとえ目的が自分のためであっても、批評にさらされる場所に書くことに意味があると私は思います。
おわりに:創作活動と生きがい
文章を書くことは創作活動の一つであることは言うまでもありませんが、創作活動をすることによって人生はより色鮮やかなものになっていくと私は思います。
文章を書く力が衰えていると感じる今だからこそ、その力をもう一度復活させようと思ったのは、そんな人生を歩みたいと常日頃から思っているからです。
駄文の最後になりましたが、これからもう少し読者の方に共感されるような文章を書けるように頑張って書いていきたいと思いますので、どうか応援よろしくお願いいたします。