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公共財としての高等教育機関の現在地(1/2)

Ⅰ. 国立大学の独立法人化と大学ランキング

 周知のごとく、2002年小泉内閣の下で「世界最高水準の大学を育成するため「国立大学法人」化などの施策を通して大学の構造改革を進める」ことが閣議決定され、2年後すべての国立大学が独立法人化された。それから20年余を経た現在、「世界最高水準の大学」は実現されているのだろうか?
 タイムズ・ハイヤー・エデュケーション(THE)をはじめ各種の世界の大学ランキングでは、東京大学、京都大学が辛うじて100位以内に位置するだけで、日本経済の長期低迷が続く中、国による支援(運営費交付金)の逓減と授業料の増額=学生(とその家計支持者)への負担の転嫁が加速的に進んだことが明らかになっただけである。

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 国立大学運営の基盤的経費である運営費交付金は、年率1%ずつ減額され、独立法人化の初年度の2004年度の12,415億円から2022年度の10,786億円にまで減少する一方で、高等教育の「マス化」「ユニバーサル化」の進行と歩みを合わせるように、隔年ごとに授業料の値上げが行われ、「大学紛争」が終焉した1975年から2021年の45年間に実に15倍に急騰している。
 「授業料値上げ反対」の声が「大学紛争」の混乱を生みだした時代とは、まさに隔世の感を覚えざるを得ない(私立大学も劣らず、この間で平均18万円強から93万円まで上昇しているが、倍率は5倍強に過ぎない⁉)この間我が国の経済が上昇軌道を描いて、GDP(国内総生産)や消費者物価指数がそれに連動して推移してきたのであれば、さほど問題にすべきことではなかろう。

       (2023年度 文部科学省資料より三重大学名誉教授奥村晴彦氏作成)

 しかし、バブル以降の日本経済は、“Japan as Number One”の怨霊にいまだに憑依されて、30年に亘る惰眠状態に陥っており、“Society 5.0”の掛け声の賑やかとは裏腹に、消費税の増税、福島原発事故に伴う特別課税(ステルス増税⁉)によって、国内消費は金縛り状態に置かれたまま、相次いで償還期限が迫る建設国債、財政投融資を含む赤字国債発行によってしか世界を席巻したコロナ禍に対応することができず、「プライマリーバランス」の回復は、今や死語同然と化してしまっている。そして「抑止力の強化」をお題目とした防衛力の整備は「宇宙部隊整備」をアニメやゲームの世界の寓話として一笑することを不可能にしている。他方では、少子化の加速、後期高齢者率の急増、地球温暖化に象徴される環境汚染問題の深刻化等々、社会経済環境の切迫が常態化している中で、いまだにものづくり産業復権に対する過剰な期待、ITを始めとする次世代産業の創生のためのハイリスクな人的、物的投資を回避して、あらゆる余剰資金の金融資本化(経済のカジノ化) が我が国経済のIT化 のシンボルであるかのように(以前であれば「紙上」というべきところ)SNSを賑わせている。
 この間の国立大学と私立大学の授業料の格差は、1975年の1:5から80年には1:2となり、2000年までの国立大学の授業料の連続的上昇により、2005年には1:1.55倍まで縮小し、それ以降国立大学授業料が固定化されたため、再び格差の拡大傾向が進み、2020年には、1:1.73となっている。

私立大学等の令和3年度入学者に係る学生納付金等調査結果について(参考2)

 中国が「世界の工場」としてばかりか、IT最先進国として「一帯一路戦略」により、アメリカと覇を競う世界第2位の経済大国に上昇してきた過程で、我が国経済は消費者物価指数が1980年から2020年にかけて1.4倍しか上昇せず、一人当たりの名目GDPも234万円から420万円台になったものの、OECD諸国では19位に低下し、今では耳にすることもなくなった「成熟社会」の負の現実(=低成長・円安・人口減少・格差社会)に喘いでいる(本年10月に発表されたIMFの統計によれば、日本はアジア4位、世界32位に位置している)。

 

後半に続く


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