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お犬は待ってくれない

犬に触れたい。
この欲求は、なかなかに抗うことが難しい欲求だ。
何故なら、犬の可愛さは常軌を逸しているからである。

早朝の散歩ですれ違う散歩中の犬全匹に対して(〜ッ…かわちい……!あの〜、触らせてはくれませんかね…)と念を送るがもちろん触ることはできず、すれ違いに恋煩いのようにウゥッと悶えて胸が苦しくなる。

ぴこぴこと歩く愛くるしい後ろ姿を眺めることしかできない。公共の場でどこか切なげに毅然たる態度でウンチをする姿を微笑ましく見守ることしか出来ない。途切れることなくモリモリと排泄しきった時の達成感に満ちた表情を御目にかかれたら、その日はラッキーデイである。

もしかしたら、飼い主に懇願すれば触れる可能性はあるが、僕にはそんな勇気はない。そんな勇気はないし、飼い主を通した間接的なコミュニケーションがしたいわけではなく、僕はその先の犬との「直接的な魂のコミュニケーション」がしたいのだ。

この「直接的な魂のコミュニケーション」というのは、"犬を我が家に迎え入れて、家族として共に過ごすこと"でしかほんとうの意味での実感は得られないことを理解している。

しかし、今現在一人暮らしの僕には、犬を迎え入れる環境や、何不自由なく育ててあげられる財力がない。悲しい哉、愛だけではどうにもならないこともあるのだ。

他人様の愛犬を刹那的に触らせてもらうのも、ペットショップにいる生々しく金額が書かれたお犬の赤ちゃんを触らせてもらうのも求めるコミュニケーションの訳が違う。


どうにか、どうにか触れないものか…。
どうにかしてこの欲求を、いま求めるコミュニケーションに近い形で触りたい………。


…不本意だが、もうあれだ。店に行くしかない。もう犬を触りたい欲求はとうに限界を迎えていた。

と、すかさずGoogle先生に『犬 触れる店』『犬 魂のコミュニケーション』と苦悶しながら打ち込んでいた最中、数ヶ月前に付き合うか付き合わないか、一番恋愛で楽しく甘酸っぱい熟した桃の中心みたいなところで付き合わなかった人とのやり取りを思い出した。

「最近サモエドカフェ出来たらしい」

「へえ〜」

「い、行きて〜!サモエドに触れる場所あるんだ!見てこのモフモフ具回!でけぇホクホクの白ごはんじゃんもう!うわ〜良いな〜!!!」

「すごい、喋るね」

おそらく、僕の行きたい場所プレゼンの最大瞬間風速を感じ取ったのだろう。その人は驚いてそう言った。その人は実家で3匹の猫を飼っていた紛うことなき猫派であったが、僕の稀有な熱量と未来への朗らかな約束に「行こう!」と弾んだような声色で答えた。

すべてにおいては、タイミングだ。毎日毎時間毎分毎秒と膨大な意思決定を繰り返し、時は平行して平等に流れゆく。その中で、生まれる感情や事象に対して、どれだけ愚直に真摯でいられるか、その結果がいまを形成するのである。

…その人との約束は果たされないまま、その日の夜に「人数:1人 時間:14:00」と予約を入れた。

─ 来る予約日、駒沢公園駅にある昨年出来たサモエドカフェに向かった。9月なのに34℃はある猛暑日だった。サモエドってシベリア出身だよね?この暑さ大丈夫なのか…?と心配をしながらも足取りは軽く、早く犬に触りたい気持ちでいっぱいになる。

お店に着くと、すでに入店している家族連れのグループ客と、店外に待ち客が1組いた。
まさか…と思い少し嫌な予感はしたが、待ち客を確認すると予想的中にカップルだった。そうだよね。カップルで来るよね。

しかし、過剰な自意識はすでに粗大ゴミに出して捨て去っているので意気揚々と「14時から予約の者です!」とスタッフのお姉さんに伝えると、「お待ちしていました〜!」と元気よく迎え入れてくれた。ありがとうお姉さん。

いざ店内に入ると、空調がよく効いていてとても過ごしやすく、犬たちにとって快適な空間であることは明らかだった。

そして、白く、大きく、うごめく物体が6体。

エッ……………!

間近で見るサモエドの大きさと、白銀のような綺麗な毛並みは圧巻だった。白くて大きい物体が動く光景は大雲海。まさに天国の扉を開けた瞬間。可愛いの権化、愛されるために生まれた存在、お犬。(デカver)
ベンチに腰掛け、しばらく感銘を受けてサモエドの行動を静観していると、1匹が輝く毛並みを踊らせながら僕の膝下に潜り込み、撫でてと言わんばかりに頭を差し出してきた。

"ソウル・コミュニケーション"…。

この為にね、僕はこの為にね、来たんですよ。
愛はね、能動的な活動であり、受動的な感情ではないですよね、僕は犬に能動的に会いにいって、当たり前に犬にはち切れんばかりの愛を与えます、でもね、これ本質じゃないよね?犬はね、お犬ってのはね、そこにいるだけで愛をくれるんです、成熟した愛を、な!凄くね!?

…あまりの感動に"フロム"になりながら手のひらに溢れんばかりのフワフワで柔らかい毛を揉むように撫でて戯れていると、スタッフのお姉さんが、

「写真撮りましょうか?」

と、声を掛けてくれた。一人でいるところを気に掛けてくれたのか、他の客と比べてもかなり話しを投げかけてくれていた。いや、好きだが。

思いがけずサモエドとのツーショットも撮ってもらい、一通り魂のコミュニケーション(有料)をして満足感に浸っていると、Tシャツに大量の白い毛が付いていることに気付く。

白く、繊細に光る毛を手に取って、ベンチに腰を掛け、その毛を眺めながらふと過去に想いを馳せていた。

僕が犬を好きな理由は、追憶の中にある。

─ 実家にいた時、犬と暮らしていた。
飼い始めたきっかけは、兄の15歳頃の誕生日お祝いである。犬種はラブラドール・レトリーバーのメス(白)で、世間のイメージとはやや乖離をしたお世辞にも利口とは言えないおてんば娘だった。几帳面な母が大切に手入れをしていた庭の花壇でゴロンゴロンと暴れていたし、大食漢で餌は瞬く間に食べ、足りないと夜中にワンワンと吠えていてよく怒られていた。

そして、奇縁にも隣の幼馴染の家はゴールデン・レトリーバーと暮らしていた。その名の通り、黄金色に輝く毛並みは、威厳としなやかさを持ち、"ゴージャス"という表現がぴったりの犬で、初めて愛犬を連れて散歩に行ったとき、たまたまそのゴージャスとすれ違い、その美しさに心酔をするほどに見惚れて姿を追ってしまう。

対して、隣のラブラドール・レトリーバーの愛犬に目をやると、あさっての方向を切なげに眺めてモリモリとウンチをしていた。

ウンチ、してますねえ…

本物のウンチを握った感覚を覚えたのは14の春だった。なあ君、すこぶる快便じゃあないか。
子どもながらに、おてんばとゴージャスの対比をしみじみと思い、同時に「うちの家族だな」と愛くるしさを感じたのであった。

そんなおてんば娘だったが、数年前に空へと旅立った。

その事実を知ったとき、僕たち兄弟は上京をしていて、最期の別れにも立ち会えなかったが、家族を失う喪失感は凄まじいものだった。心に空洞ができ、暗澹たる気持ちで彷徨う世界に突き落とされるような感覚だった。

この気持ちはどうすればいいのだろう。撫でてと無防備にお腹を差し出して、手に触れた皮膚の体温を覚えている。今は無い空き地で一緒に競争をして、遊び疲れて身体を預けた耳の近くで荒れた呼吸の音とリズムを覚えている。馬鹿なフリして、不審な人影を家族から守るために夜な夜な追い払っていた君の姿を覚えている。

嬉しい顔、怒った顔、驚いた顔、悲しい顔、しょんぼりした顔、呆れた顔、遊び疲れた顔、寝てる顔、全部覚えている。

その時からだろう。

僕が使うすべてのパスワードのなかにはずっと愛犬がいる。この感情を、想いを忘れないように、確かに愛犬と過ごした日々を忘れないようにと。

以前、歌人の岡本真帆さんに『水上バス浅草行き』というタイトルの短歌集を献本いただき、(まほぴさん、その節はありがとうございました。しっかりと御礼出来ていなかったので、この場をお借りしてBIGLOVEとさせてください。)5・7・5・7・7だけで宇宙みたいに広大に表現できるのすげえ〜と感心しながら読みすすめていったら、こんな歌が目に留まった。

「パスワードの中に犬の名住まわせて打ち込むたびに君に会いたい」

水上バス浅草行き/岡本真帆


この短歌を読んだ時、瞬間的に体の内部から懐古や永訣の想いやらなんやらがこみ上げてきて、それが具現化したかのように、涙がぶわっとあふれ出た。この短歌、凄すぎるよ。思い出すたびに、目にするたびに泣いちゃうよ。

当たり前のように僕のパスワードには愛犬がいて、都度打ち込んでいたのだけれど、あまりに日常的すぎて、あまりに当たり前すぎて、あまりに無意識すぎて、大切だった感情を時折忘れそうになっていた。
正確には、忘れそうになるというよりは、思い出せなくなってしまうというのが正しいのかもしれない。

だからこそ、愛すべきものと一緒にいた人々は、みなパスワードに名前を住ませているのではないだろうか。
琴線に触れるより、突かれるような感覚を覚える。大切だったから自分しか解らない鍵のなかにいまも住まわせているんだ。鍵を開けるたびに、馬鹿みたいによだれを垂らして走り回っていた姿が脳裏に思い出される。


会いたいなぁ。
会いてえよ。


そうやって、サモエドの白く大きな姿に愛犬を重ねて思い出す。
そして、考える。

犬たちの寿命は、なんのいやがらせなのか僕たち人間よりずっと短い。特例もあるかもしれないが、通常は動物を家族に迎え入れるということは、必ず訪れる失意の底に落とされるような今生の別れを覚悟するということだ。

犬との暮らしは愛の日々だ。
僕は再び、同じ想いをする事がわかっているのに犬を迎え入れ、暮らしていけるのだろうか。生きる喜びや数多もの大切な感情を与えてくれる犬たちに僕は何かしてあげられるのだろうか。

どうだろう、今はまだその答えを出すことは出来ないかもしれない。

だから今日も僕は愛犬に大切な鍵を任せ、散歩に出向いてただお犬を眺めるのだ。


◾️おまけ
せっかくなのでサモエドとのツーショットを載せます(裏ピース)

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