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25歳でやっと人になれた【自己紹介|はじめてのnote】
人には人それぞれ、人生のターニングポイントなるものがあると思う。
大きなライフイベントがあったとき?
推しができたとき?
たまたま読んだ漫画の台詞に感銘を受けたとき?
ある人に出会ったとき?
私にとっての直近の大きなそれは
自分に金をかけても誰にも怒られないと気づいた25歳のときである。
どんなnoteを書きたいか
自己紹介が長くなるので先に書いておく。
私は現在27歳、出産を間近に控えた妊婦である。
今後子を産み育てるにあたり、自分の人生を振り返りつつ、どう子どもと向き合っていくか?を自問自答してnoteでアウトプットしていきたいなと思っている(そんな固い文章を毎回書くのは面倒なので、フワッとした育児記録的な使い方もしたい)。
自己紹介
1997年、私は東京で産まれた。
母は当時には少し珍しい、高齢出産のバリキャリシングルマザーだった。
母と過ごした記憶はほとんどなくて、私は幼少期の家での時間の大半を「もったいない」が口癖のシッターさんと一緒に過ごした。
母は水を出しっぱなしにしたり、物をすぐ捨てたりする人間だったので、私がシッターさんの受け売りで「もったいない」というたびに、立派だねえ、と褒めてくれた。
セルフネグレクトの始まり
小学校2年生の時に、母の実家の雪国の田舎に引っ越すことになった。
住んでいたアパートが火事になって、住む場所も着るものも何も無くなってしまったからだ。
どんなに大変でも東京で暮らすことにこだわっていた母だったが、その時ぽっきり心が折れてしまったのだろうと思う。
田舎の祖母の家で、母と私は祖母と叔父と一緒に暮らし始めた。
戦時育ちの祖母は、お湯がもったいないからと、4人が入るお湯を3日使い回していた。
古いお湯の匂いやぬるぬるとした質感が気持ち悪くて、その頃からなんとなく、風呂に入るのを避けるようになった。
自分の部屋で電気や暖房をつけていると、「もったいないから一つの部屋に集まろう」と言われる環境だった。
成長してひとり時間が欲しくなった私は、雪国の極寒の冬を、暖房なしで布団にくるまって過ごすようになった。なるべく布団から出ず最低工数で暮らせるように、ベッド周りの手の届く範囲に物を散乱させていた。
暮らしの背景に怠惰な性格も相まって、本当に恥ずかしいことながら、大学を卒業するまでずっと、毎日歯を磨く、毎日風呂に入る、出したものはしまう、ゴミは捨てる、などといった、人として当たり前にできるはずの習慣が全く身についていなかった。
「生活」への意識の変化
社会人になってから、今の夫と出会い、付き合って半年で同棲を始め、1年で結婚し、郊外に家を買った。これが25歳だった。
夫と暮らし始めたからといって自分の怠惰が直るわけではなかったが、人として幻滅されたら結婚してくれないかも、という焦りで、「普通」を少し意識できるようになった。
「風呂のお湯をかえて入ってもいい?」
「部屋の電気をつけていい?」
「寒いから暖房をつけていい?」
と聞くのが癖だった。自分のためだけに手間やお金が余計に発生することは「もったいない」ので、許可を取らないといけないことだと思っていた。
「なんでそれわざわざ聞くの?ダメなわけないじゃん」
と言われてはっとした。
私は自分で自分を大事にしない呪いをかけていたのではないか、と気づいた。
自分のためにお金をかけていいんだ。
自分のために何かしていいんだ。
自分で自分を大切にしていいんだ。
と腑に落ちてから、突然、人生にログインしたような感覚を覚えた。
私は今までずっと、「生活」をしていなかったのかも、とさえ思った。
18歳で成人ってマジ?
そこから少しずつ意識が変わって、毎日風呂や歯磨きができるようになった。
お金がかかるし怠惰な自分には続かないと思っていた毎日の美容ケアも欠かさず楽しめるようになった。
まだまだ苦手で習慣化できていないことはあるけど、少しずつ、少しずつ、自分の中の世界が変わり始めている感覚を掴んでいる。
やっと一人前に、少なくとも外面に恥じない程度には、生活ができるようになったな、と思えるようになった。
今まで、家ではまともな生活ができていないのに、外では器用に振る舞ってきた自分に、いくばくか嘘つきのような罪悪感を覚えていたのかもしれない。
世の成人年齢は18歳らしい。早すぎやしないか。
私は私の面倒を見れるようになった25歳の時を、自分の成人の年としようと思う。