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北へゆくとき

 あれから長い時間が経ってしまったが書き残しておこうと思う。
 もしこれを読んでいるあなたがあの夏の僕のように時間が有り余っているのならお付き合いいただけると嬉しい。

 結果から言うと、もう同じことをしたいとは思わない。去年の夏、僕にはとても長い時間があった。それだけだった。しかし旅に出るには十分な理由だった。

 夏休みも中盤にさしかかる頃、僕はいつものように冷房の効いた部屋で本を読み、眠くなったら寝て、夜はアルバイトに行くという生活を送っていた。これでも十分暇を持て余していたのだが、アルバイト先の夏季休業がそれを加速させた。本にも飽きて、ほとんど何もせず天井のタバコのシミを眺めていたら、頭がおかしくしなりそうだった。
 それから旅に出ようと決意し、行き先を決め、大きめのリュックに荷物を詰めるまでは早かった。行き先は北海道。なるべく遠くに行きたかったという理由だけで決めた。今でも覚えている、財布には23000円しかなかった。翌日の航空券と同じ値段だ。しかしその数分後、絶望の中から"ヒッチハイク"という選択肢を思い浮かんだときは思わず、あれほど見た天井をもう一度見上げてしまった。タダで旅に行けると思った。そこで思考は勢いを増し、なぜかできるだけ野宿もすることに決めた。夏だからいけるだろう、そうたかをくくって、思い浮かんだその日の午後、修学旅行のように心を躍らせて家を出た。とりあえずコンビニで太いマジックと大型ノートを買って、大きな字で「北へ」と書いてみた。ここから、約1週間に及ぶ旅が始まったのだ。
 意気込んだはいいものの、何をすればいいか分からずとりあえず車の多い道でノートを掲げてみることから始めた。とても暑い日だった。僕はもともと性善説を推していたのだが、それはこの日覆った。手始めに埼玉の朝霞周辺で1時間立ち続けた。すれ違った車は皆ニヤニヤしながら通り過ぎていく。「この心なし!」と口に出さずいってみる。もう早々に帰ってやろうと思った。しかしどうしてか、ここで帰ってしまうと僕はお金が無いだけでなく、根性も、何もかもないのではないのか、そう思い始めたのだ。

 1人目が見つかって高速に入れればそこからは早かった。1日目で仙台まで行くことができたのだ。ただ、仙台までの道のりはあまり覚えていない。夜で外が見えなかったからということもあるが、それよりも僕は社内をどれだけ楽しませられるかに全神経を集中させていた。というのもヒッチハイクはテイクが多過ぎてギヴ出来るものは身の上話やそのエピソードくらいなのだ。なんとか期待に応えようといろいろ話題を探し、もはや旅どころではなかったというのが事実だ。ジャルジャルのコントで見たように「降りてくれ、、、」となってしまえば、車内の気まずさ凄まじいものだ。
 しかし、同時に喋っている時、僕は達成感のような、そして「自分が何者かになれている」という高揚感があった。この移動手段と宿泊施設が逸脱した旅の中で何か成長できるかもしれないと思い込んだ。

 2日目、僕は仙台の駅のベンチで目を覚ました。仙台駅は少し曇っていた。気温は東京とあまり変わらなかった。当たり前だが東北の中心であるだけに地方とは思えないビルの高さである。とりあえず牛タンが食べたかったが2500円もしたのでコンビニで食事を済ませ、少し市内を散歩してみることにした。この日、気がつくのだが、ヒッチハイクにおける重要な要素としてはやはり"場所取り"が上がるだろう。運はそのあとからついてくると思う。止まってくれないところでは絶対に止まってくれない。インターに続く大通りで、路肩があり、車線が多過ぎないことなどが条件である。(この時はまだそれに気づいていないが)散歩していて分かったことはその点で仙台は最悪であるということだった。仙台駅の周りは碁盤の目のように整備されて、三車線、路肩少なめというヒッチハイカー泣かせの都市だったのだ。しかし観光や住むこと考えれば、ビジネス街、商店街、飲み屋街、そして自然が同居する仙台はとてもよい。これは東京のようであり、はたまた地方のような温かみもあり、きっと暮らしやすいだろうと感じた。さて、ここから絵に描いたように天気が崩れ始め、前述で述べたように車は止まらず、8時間ほど雨の中仙台で立ち尽くすことになる。もはや面白くもあり辛さはそこまでなかった。自分が雨の中立つ姿はさながら映画のワンシーンのようだと思い込んですらいた。1人で立つ時間が多ければ多いほど凄い経験をしているという気もしたのだ。

 そんな私を仙台から八戸まで5時間ほど乗せてくれた人がいる。その人は秋田で骨董店を経営していると言っていた。つまり秋田に帰るべきであるにもかかわらず、僕を送るために八戸へと乗せてくれたのだ。子供が遊び過ぎたボロボロのトミカみたいな軽自動車に乗っていた。不思議な人だった。ここまで5人ほどの車に乗って、ベラベラと話をしてきたが、その中でも特に僕の話をしっかりと、飲み込むように聞いてくれた。従ってその5時間も苦ではなかった。そしておじさんは自分の話もたくさんしてくれた。訛りが凄過ぎて半分くらいはよく分からなかったということはおじさんにバレていただろうか。青森に入るともう高速は真っ暗で対向車も来ないようなとても静かな道になった。ただ乗っている車から時々聞こえる心細い音がするというくらいだ。
 「ワシは誰にでも親切にしようと思ってる、誰が未来の客か分からないからね。」サービスエリアでコーヒーをご馳走してくれた時、少し恥ずかしそうな顔でおじさんは訛らずにそう言った。「骨董を買いに今までいろんなところへ行った。そしていい人も、好きじゃない人にも出会って、いい思いも悪い思いもしてきた。まあ、お兄ちゃんはまだ世の中うまく行かないことの方が多いと思ってるだろうが、いいことってのは意外と起こってるもんだよ。」そう言ってコーヒーを飲み干し、僕を八戸に送り届け、帰って行った。しっかりとお店の名刺を渡して。そろそろ本州のてっぺんに着くのだろうか。八戸の夜は少し冷えていたがそれはわりと心地よかった。

 八戸の朝はあまり覚えていない。疲れが溜まってきていたのかもしれない。駅前は仙台と比べればあまり栄えていなかったと思う。地図を見ると海はすぐそこだった。海が見たいと思った。でもその前に近くの銭湯に行き、休憩スペースでもう一度寝ることにした。意気揚々と家を出た割には疲れが出始めていた。起きた時にはいつのまにか夕方だった。
 僕が八戸で1番覚えているのが海だった。久しぶりに広い海を見た。息を呑むというか、果てしなく広くいそれは畏怖の対象ですらあった。時間的に陽が落ちる。それを僕は動かずにずっと見ていた。
 「蕪嶋神社」という社がその海岸線にはある。昔の人もこの夕陽を見て畏れ敬いその場所に神を祀ったのだろうか。日が沈むまでの時間、この旅のことについて考えていた。まず浮かんだ感情は、ここまで来れたことを嬉しく、誇らしく思うようなものだった。込み上げてくるものがあった。そしてそれを機に感傷に浸り、「自分とは案外やるのではないか」と思うようになった。金も何もなかった青年が成長したかのように思えたのだ。
 心地よく陽が沈むを眺め、海と完全に一体化した時、何処かからそんな自分を客観視して、疑問を投げかけるものがいた。「現実を見なよ」と。「きみはただ自分のいる環境から一時的に離れ、突飛な行動をしているだけなんだ。何者でもないよ」と。彼の言葉はその通りだった。ありがたいことに乗せてくれた多くの人は僕に、「今どき珍しいよ、すごいね」と言ってくれた。しかしどこからともなく現れた彼は「"現代社会にそぐわない行動"と捉えるべきだよ」と僕に言う。数百、もしくは千を超えたかもしれない過ぎ去った車の人たちは僕をみてそう思っていたのかもしれない。2日前やることがなくて、何かのお告げに駆られたように家を飛び出した。僕はただ、「現実逃避」をしているのだけなのだろうか。僕は諦めきれずそいつに沢山言い訳をした。そうすると「しょうがないな、答えは目的地に着く時にまた聞きにくるからね」と言って彼はどこかへまた消えてしまった。太陽は完全に沈んでいた。でも「今日のうちにてっぺんまで行こう」僕はそう決めた。

 車はすぐに捕まった。八戸は道幅が広く、一本道も多い。そして気付かないうちに僕のポジションどりも格段に上手くなっていたんだと思う。うっすら気づいていたのだが、北海道に行くためには海を渡ることになる。楽観的だった僕は、「漁師にでも乗せてもらえるだろう」と思っていた。
 青森駅まで乗せてくれた会社帰りのおじさんに可能かどうか聞いてみた。僕は前述したように車内トークに全てをかけてきた訳なのだが、ウケを狙った発言よりも(不本意だが)こういう天然の世間知らずな発言の方がウケるということにここで気がついてしまった。つまり僕の今まで努力と引き換えに「流石にフェリーに乗らないと無理だよ」という有力な情報を獲得したのだ。さすがに公共交通機関をヒッチハイクできない。交通費を使う時が来たようだ。
 2時間くらいで到着した青森駅は海のすぐそばにあった。フェリー乗り場まで徒歩で行ける距離だ。暗くてよく見えなかったが少し歩いたら波の音がするようなところだった。現実、陸奥湾にいるのだろうが、ネーミング的に海峡にいると思いたかったので津軽海峡にいるということにした。どちらにせよ、本州のてっぺんまで来たのだ。フェリーは明日だろうからそれに乗ろうと思っていたのだが、どうやら「2時青森発、5時函館着」という深夜便があるらしい。それに乗ることに決めた。

 出発時刻まで青森の市街地を歩いた。仙台と比べれば田舎と言わざるを得ないが、海に面した街に特有のオープンな雰囲気があった。湘南で見るようなお店もたまにみられた。時間的にそういう小売のお店はしまっていたのだが、飲み屋がポツポツとあった。どれも地元の常連客で賑わっている。ひと段落着いたし、深夜便で寝るためにも僕は一杯飲むことにした。店は調べもせず適当に雰囲気で決めてみた。地酒と焼酎の店だった。ビールを頼もうとしたのだが、ハリウッドザコシショウみたいな店主の勧められるがままによく分からない焼酎のソーダ割りを注文していた。 
 大きなリュックを背負った旅人の若者は舐められていた。しかし、ここに来た経緯や移動方法など探られるように聞かれたので、事実のままを話してみたら、店主も飲んでいたからか、思いの外盛り上がってしまった。僕は狭いその店で「貧乏学生ヒッチハイカー」と呼ばれ、仕舞いにはみんなと乾杯をし、横にいた医者のおじさんが会計を全額奢ってくれた。狭い店がパーティ会場のように広く感じた。お酒、というか飲みの場にはそこでしか生まれないパワーがあることを思い知らされた。
 沢山ご馳走になったのでふらふらとフェリー乗り場まで向かう。人生初のフェリーだ。もはやプラカードを上げなくても移動できることに快感を覚えてそうになった。プラカードの文字は抽象的な「北へ」というものからいつの間にか場所が絞られ「青森駅」というものに変わっていた。フェリーの中は案外混んでいた。乗車賃は4000円弱だっただろうか、ランクが下の雑魚寝シートを選んだので案外安かったと記憶している。船内はこぢんまりとしていてシートは硬く、いびきが鳴り響いた。僕は揺れに強く、酔っ払っていたのでゆりかごの中のような気持ちですぐに寝てしまえた。
 目を覚ましたのは到着する10分前くらいだった。アナウンスで目が覚めた僕は現状を理解できなかった。酔っ払って寝たこともあるが、あまりにも夜と景色が違ったからというのが理由だ。窓から光が差し込み、外には海が広がっていた。思わず甲板に飛び出した。360度を海に囲まれ、そこに反射する太陽を全身に浴びる。ここにおいては「言葉にできない」というのが1番伝わりやすい言葉かもしれない。今この世界に僕しかいないような気がした。船の音が脳に響き、波の音がそれを包み込む。少し寒いがそれは遠くまで来たことを実感させた。空気を思い切り吸い込み、その景色、もっと言えばこの世界を享受する。そうしてしばらくすると北海道が見えてきた。彼が再び現れたのはその時だった。

「どうだい、現実逃避はうまく行っているかな」
「うん。でも今、この旅に出たことは間違いではなかったと思ったよ」
「そうか、もう少ししたら現実に戻らないといけなくなる。それを踏まえてもかい?」

「言葉にならない」思いをした今この瞬間も紛れもない"現実"であると僕は思うよ、そう言おうと思ったが彼にはそれ以上語らず、ここで僕の方から手を振って微笑み、背を向けた。あなたのおかげでこの旅が現実であることが分かりました。ありがとう、またどこかで。

 船のアナウンスが北海道に到着したことを知らせる。
 帰り道を含めもう少し続くのだが、この旅の話はここまでとする。これでも十分長いが、これ以上長くなりすぎてはもっとよくない。

 その後、僕は船の上で感じたこの思いをそっくりそのまま、一度我が家に持ち帰った。他には「骨董屋のおじさんの話」とかも。それは実際の家であって現実には存在しない。そして持ち帰ったそれを、まるで新しい服なんかを買った時のように家の中で身につけて、盛り上がってきたら昔の服や新品同士でコーディネートして、最後は鏡なんかでその姿を何度も確認し、準備ができたらまた本当の現実に出かけることにする。

 この旅で僕は何者になれたのか、一年以上たった今でもよく分からない。ただ僕の家のクローゼットにはたくさんの新しい服が仲間入りして、とびきりの一着もある。それらにもう一度袖を通せば、まるでディズニーのプリンセスの格好をした少女のように、また僕も「何者にでもなれる」と今は思ってしまっているのである。

ここまで読んでいただけた方はいるのでしょうか。長い時間付き合って下さりてありがとうございます。次はあなたの話も聞かせて下さい。

こういちろう

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