月夜のつぶやき

海外進学への道を進めている。
実現へ近づいたことで様々な希望を心に描くことができてきている。
海外でキャリアを積んで、それがそのまま海外で生きて、日本に居ただけでは触れ合えなかった人たちと触れ合うことになって、、、と。

母は常に言う。「日本は終わった。日本におっても未来はない。海外に行きな。」と。正直、今回の地方統一選挙の結果、投票率の低さをみても、私も終わってるな〜と思わざるを得ない。
それに、私自身、小学生の時から英語が好きで中学生の時には大好きになり、高校では海外に行くことに憧れていた。そして、大学も外国語系に進んだ。
だから、海外へ行くことは割と必然というか絶対不可欠というかなのである。

しかし、とはいえ、準備を進めるにつれて、「イージーではないこと」を実感する。それから、何かにつけてお金がかかるという経済的圧迫。ビザの申請、simカードの準備、コンタクトレンズの用意(視力があまり良くないので)、役所の手続き、医療機関への受診、荷物の準備、、、あげだしたらキリがない。

こういう現実をプロセスとして踏む際に、あらゆる考えが私の頭をよぎってはじわじわと私自身を苦しめるのである。
私は、いわゆる「新卒」を捨てた。自分「から」捨てたと言っても過言ではない。異質に感じたからだ。とはいえ、全く就活をしてこなかったわけではない。ただ、「必死には」やっていなかった。なれなかった。なら、他の道を探すべきで、候補として上がったのは、海外進学、公務員になる、歯科衛生士になるの3つだった。「公務員として働く=国のもとで働く」ということ、これには国家への疑問が多い故に無理だ〜と思ってしまった。歯科衛生士という道は、求人を探していたときに、歯科衛生士の求人が多く、しかも給料が高かったから浮上したのである。いくつか体験入学にも行ってみた。そして、あわよくば、歯科衛生士の資格をまるっとではなくとも、少なからずは生かして海外に行けるかも、と踏んだからである。体験へ実際に行ってみて、良さげであった、良さげだったが、3年をかけることになることへ疑問を感じてしまったのである。これなら、「若いうちに言っちゃえば?海外に。」と。就業経験のことも踏まえると5年はかかりそうで、「5年も日本にいることになるなら、サクッと飛んだ方がいいのでは?」と。それで、海外へ飛ぶことへ向けて準備を始めることにした。これにも、親は120%(言い過ぎかな?いやでも最近は特に100%超えてると思う)同意してくれている。

だが、自分でも、海外経験によって、「世界が開かれる・絶対に楽しい(無論辛いことはあるとはいえ)・可能性と選択肢が広がる」と素晴らしい機会があることは分かっている。分かっているし、そのためにいわゆる「安定」の「構築」を捨てて、そっちの道で頑張ろうと腹を括り、踏ん切りがついたのである。

なのに、なのに、なのに、、、、。
私はまた道を掻き消し始めているのである。盲目になっている。いや、彷徨い始めている。
「決めた」のなら、それに向かって、希望に満ちた状態で突き進めばいいのに、「後悔・不安・心配」の曇天に私は狂わされている。
「やっぱり歯科衛生士になっていたら、安定した収入もあるし、全国どこでも働ける。そして、両親を養えるし、自分に確固たるスキルが身につくことになるのだから強いよな。」
「公務員として勤めれば、長年に渡る『安定』を得られていただろうな。(公務員の友人がいるから余計であると思うのだが、なぜならその友人は今、働きながら日々の生活を楽しんでいる。友人との時間、恋人との時間、仕事終わりの自分だけの時間、、、など)」
「海外へ行ったところで、『海外へ行く』ことが実現に向かっているから、何もかもがキラキラして思える、希望に満ちているように、夢があるように思えるだけで、実際のところ、至極冷静に今の自分を見てみれば、『英語もできるわけではない・職歴もない・ツテもコネもない』こんな状態なわけで、それでうまく行くのだろうか?海外へ行ったところで情けない結果を迎えてしまって、『日本にいたらよかった…』というオチになってしまうのではないか。」
ひたすらなんだか悲観的になってしまう。

いつも甚だ遠回りな選択をしているのではないだろうか。「あれも嫌だこれも嫌だ」と言い、その割には準備・対策が何かにつけて遅い。
高校の時は、母が「台湾の大学は?」とさりげなく提案していたのにも関わらず、素直に聞き入れるわけでも、調べてみるわけもなく、ただただ日々を過ごし、そして気づけば浪人してしまっていた。
大学の時は、浪人時代を無駄に過ごさぬように、と勉学に奮闘してきたけれど、コロナの期間には結局「サボること」を再び習得してしまったために、生かせたはずの「何もできない」期間を実質「無駄に」過ごした。そして、就活の時期を迎えているというのに、インターンシップにも行かず、ギリギリで準備をし始め、受けた会社は数社。惑わされて途惑わされて逃げて行動しきれてないのも、いい加減にすべきところである。
現在も、起きるのが遅かったり、意味もなくだらだらしたり、なかなかすんなりベッドから動くことができない日々も多い。病んでいるのだろうか?

少し話が脱線してしまったが、こうも不安になる自分が謎であるし、そのこと自体が苦しいのである。自分が必要以上に自分自身を苦しめているようで。不安自体は、人間にとって必要な意識・感覚であるし、それにより「対策を練る」ことが有効になる。
そう、不安に思ったのなら、その「不安」の根源が何で、それを打ち消すにはどのような行動が必要なのかを考え、それに対して用意をしておくだけで、いいのである。それだけである。つまり、理性的に処理すれば望ましい結果を得られるのである。
だが、私はそれでは止まれないのである。感情的にも不安に覆い尽くされようとしてしまうのである、、、。こうして、不安に覆い尽くされ、駆り立てられることによって、考えがマイナスになり、うまく行くことも行かなくなるのである。このことももう理解している。理解しているのに、なぜだが、不安が勝ってしまうのである。

つらつらと私の現状とそれに伴う感情を述べてきたが、要約するに、「保守的な自分/過去を悔いる自分 vs. 前進的な自分/未来を期待する自分」との拮抗を果てもなく、飽きもせず、繰り返しているのである。

何が正解なのだろうか。
どうしたら良いのだろうか。
私とは。

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