手段という名の怪物
私は中学受験をして、偏差値75の中高一貫校に合格した。
「いい大学に行って、いい会社に就職する」
中学生時代の固定観念である。
親に言われたせいかな…と考えてみたのだが、多分1回くらいしか言われたことはない。ただ、私のプライドが今も昔も高いのだと思う。要するに負けたくなかったのだ。
負けず嫌いだけで、中学受験を乗り切った。というか、受験勉強自体は点取りゲームみたいで、やればやるほど順位があがって、正直楽しかった。
でも、それがよくなかった。
私は勝ちたいわけではなかったのだ。
別に1番になりたいわけではなかったのだ。
ただ、勝ちたくない人の割にはプライドが高すぎて、うっかり進学校と呼ばれるところに行ってしまったのが私。
そして、周囲の期待が爆発した。
「uriはどこの大学いくの?楽しみやなー」
「uriはどこに就職するの?楽しみやなー」
「uriはなにを目指してるの?」
こうも言われては、いろいろ考えるものである。
とりあえず東大だろうか?距離的に京大かな?
就職?よく分からないけど大企業かな?
残念ながら中学生の私にはこのレベルの思考しかできなったが、まァそれは今回許すとして
「なにを目指してるの?」
この回答だけが、どうしても思いつかなかった
何のために勉強やってるの?という問いである。
正直考えたこともなかった。
半分なりゆきでここにいるのだ。大志も大義も何も持ちえていない。
ずっとプライドだけでやってきたものは、世間的には成功と呼ばれるものを勝ち取るための手段だったらしい。
めっちゃ考えた。
けど、やっぱり何も思いつかなかった。
でもさ、勉強とは何かを成すための手段に過ぎないと知ってしまったの
私の中で、勉強は目的がないと成立しない行為になってしまったの
勉強=手段と定義されてしまった
魔法がとけた瞬間ってやつ
そこから勉強に意味を見いだせなくなったなー
相も変わらず話が逸れてしまったが、何が言いたいかというと、
私は手段って言葉が嫌い!!
手段は目的を可視化しないし、
手段は目的を連れてきてくれない。
ぜんぜん万能じゃないのに、手段って過大に評価されてると思う。
とりあえず、手段って名前をつけるのはやめよ
名前さえなければそれは独立性のある行為なんだから。
目的を見つけなければいけないって迫られてるみたいで怖い!ヤダ!
何かをするときに、その何もかもが〇〇する為の行為である必要はないんだよ!!
って自分を慰めてるだけだな……
それでも私は意味のない行為を大切にしていきたい