酔っ払い

酔っぱらいに敬意を

年末が近づいてくると思い出す二つの思い出がある。

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娘6歳、息子0歳の時は、息子をベビーカーにのせて母子でよく電車でお出かけした。電車の移動は大変だけど、幼い子を連れていると「かわいいなぁ」「何年生?」「何カ月?」と声をかけられることも多い。(逆に泣いていると「うるっさいなぁ!」とか言われることもあるが、気にしない気にしない。)

あの日、12月のクリスマスイルミネーションが華やかだったのをよく覚えている。

駅の改札内でエレベーターを待っていると、青年がベビーカーを覗き込み「あかちゃんだねぇ。かわいいねぇ。」と無表情のまま声をかけてきた。話し方や表情と身振りから何らかの発達障害か精神疾患がうかがえる。

青年「なんさい?」
私「まだ0歳」
青年「あかちゃんかわいいねぇ。あかちゃんかわいい。」
私「赤ちゃんが好き?」
青年「・・・しゃべる?」
私「まだまだしゃべれない。泣くだけだよ。」

青年はベビーカーをぐっと覗き込んで息子の頬に触ろうとして、でも、ふっと手を引っ込めた。きっと不用意に赤ちゃんや子供に触れてはいけないと教育されているのだろう。私は切なくて触ってもいいと言おうかと思ったが、青年はそのまま急に踵を返して改札を抜けて行った。

たぶんあれぐらい顔を近づけたらふわっとミルクの匂いがしたと思う。

青年が去ったあと、それまでじっと固まっていた娘が泣き顔で言った。

娘:「お母さん!!!怖かった。赤ちゃんがなにかされるかもと思った!!なんでお話なんかするん!!」
私:「だって、ただ赤ちゃんかわいいと思って近寄っただけやのに冷たくされたら悲しいやん?」
娘:「でも何かあったら・・・。」
私:「うん、お母さんだってあのお兄さんが予想外の行動する可能性も考えてん。でもな、経験上大丈夫だと思ってん。あんな、どんな病気があろうが障害があろうが悲しい時と寂しい時の痛みは他の人と同じなんよ。」

あの時娘は、お母さんはなんで私の不安をわかってくれないのか、私達を守ってくれないのかと思ったかもしれない。

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年始に夫の実家に帰省中のことだった。

夫が懐かしい友人と遊びに行ってしまったので、電車で私と娘(当時8歳)とベビーカーの息子(当時1歳後半)とお出かけした。イオンでおもちゃを買いアイスを食べて子供たちはご機嫌だ。帰路はやや混雑のホームでベンチに座り、のんびり空いた電車を待った。

すると初老の男性が声をかけてきた。
男性:「あの電車(指さす)はA行きやろうか?」
私:「私地元の人じゃなくて。駅員さんに聞いた方が確実ですよ。」
男性:「まぁどっちにしても混んでるから次の電車まつわ。かわいい赤ちゃんやなぁ。この子はお姉ちゃんか、べっぴんさんや。何年生?え!2年生!背ぇ高いなぁ。」
私(心の声):「・・・相当酔っぱらてるな。よく見ると缶チューハイ手に持ってるやん。絵にかいたような酔っ払いや(笑)」

その後電車を待つ間の数分だけお話をした。どうやら男性には子育ての経験があるらしいこと。現在は失業中であり、仕事を探してるが年齢的に難しいこと。今はひとりぐらしであること。子供が好きな事。そんなことがわかった。

男性「こんなおっさんに話しかけられて困るかしらんけど、仕事もないしな、飲まんとやってられへんで。」
私:「いやいやそういうこともあるでしょ。ふつうふつう。」
男性:「あ、あの電車A行きやな。そやな? ほな、ありがとう」
私(心の声):「だから電車は分からないってば!大丈夫なん?」

男性は電車に乗り込む前にちゃんとホームの駅員さんに行き先を確認していた。その後ろ姿が少し楽しそうだった。

ホーム上で前回と同じ理由で再び娘に涙ぐまれた。「怖かった・・・。」ちょっと娘も可哀そうかとも思う。

この話を人にすると、「(娘が)かわいそうやったなぁ。」「(失業とか)そんなの言われても知らないよねぇ?」「災難だったね。まぁ飲むのは勝手だけど人に迷惑かけちゃいかん。」という反応が返ってきた。

私は当時この反応になかなか面食らっていたし、かるく傷ついた。

だって私がこの話をした人たちは、普段は障害者施設や養護施設でボランティアしたり、先生として子供に教えていたり、普段の主義主張もリベラルで権威や権力を嫌うタイプで、弱い人の味方であるべきと語るような人たちだったからだ。

公共の場で酔っぱらって見知らぬ人に話しかける老人は彼らにとって笑い合い励まし合う仲間ではないのだった。私の育った大阪の街にはそんな人がいっぱいいたし、なんなら私の父だってそういうことしかねなかった。私には彼らとその切なさがそれほど遠いものではなかった。社会の隙間に落ちていくということはそういうことかと、心がヒヤリとした。

あのおじさんに何があったか詳しくは分からないけど、何かが辛くて悲しくて寂しくてお酒を飲んでそれを紛らわして、そういう生き方しかできない時があるの、なんとなく想像はつくんだ。自分だってあのおじさんと同じ人生を生きて同じことをしないなんて言えない。私はたまたまそうしないで済んでるだけ。それにね、お酒飲んでうさを晴らすために誰かを恫喝したり、暴力ふるったわけじゃない。ただ、子供を「かわいい」と愛でて世間話をしただけ。

きっとあのおじさんは帰宅後は眠ってしまうと思う。もしかしたら家にたどり着くより前に電車の中で眠ってしまうかもしれない。眠りにつく前の感情が「赤ちゃんかわいい」でよかった、と私は思う。

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長短と濃淡はあれど生きていれば色んな人の人生とすれ違うなぁと思う。

私の子供たちを「かわいいなぁ」「べっぴんさんや」と言ってくれた人たちに祝福がありますように。

あなたの物語の片隅に私達をチラリと出演させてくれて、私は嬉しい。

娘に不器用な愛を見せてくれてありがとう。

あなた達の愛に敬意を表します。

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