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たったそれっぽっちのことではない。うちの子にとっては。


先週末は息子の保育所の生活発表会なるものだった。

半年前の夏祭りでの歌とダンスの披露の際、息子(発達に凸凹が指摘され医師の診断順番待ち中)はいつもと違う雰囲気に狼狽のあまり舞台上でひとり踊りだし、規定の歌とダンスを拒否して舞台袖に逃げてた。(客席から丸見えだし・・・)さてどうなることやら。

①縦割り遊び
年長さんが年中年少さんをリードしながら音楽に合わせて電車になる、などのゆるい遊びを披露するもの。息子の場合、どっちが年長さんなんだか・・・、という気配ではあったが、かつての様にひとり舞台上で違うことを始めて悪目立ちすることもなく、最後まで笑顔で演技し退場。合格!合格!

②合唱
途中で歌詞が分からなくなると顔が曇り、歌詞をはっきり覚えているサビ部分にパッと顔が輝いてにこにこ歌う、という分かりやすさが面白かった。合格!

③お芝居
前にも書いたが彼の役はプリンセス。人魚姫。セリフは一言「私は人魚姫よ」のみ。言えたから合格!

④和太鼓演奏
これはは懸念だった。だって彼には聴覚過敏がある。
しかも息子の保育園は基本的にめちゃくちゃ子どもに対する要求がゆるーいのだが、和太鼓は割と頑張っていて演技らしい演技を毎年作ってくる。

結論から言うと、できた。

ローテーションを組んで順番に太鼓をたたくことも、微妙にズレてるとはいえ、みんなとリズムを合わせて太鼓を叩くことも、演奏しながら振付っぽい動きをすることもできた。しかも笑顔でできた。

びっくりした。あんた急にどうしたん?

半年の間に自然に成長したのだ、と見ることもできるけど、私は別の要因もあったのじゃないかと分析している。

前にもここに書いたSちゃんの存在だ。

Sちゃんは今年度の前半におうちの用事で遠方に長期滞在した都合上、長く保育所を休んでいた時期がある。半年前はその不在期間中で息子は保育所で親友を失った状態だった。ただし、これが理由で他のお友達とのかかわりが増え(当然トラブルもあり)本人にとっては色んなお友達経験をする機会にもなった。しかし、やはり同年代に自分の理解者がいない寂しさはあったと思う。

秋ごろにSちゃんが戻ってきた。彼はプリンセスを彼女と一緒に演じた。

それが発表会における彼にとっての大きな支えでありモチベーションだったことだろうと思う。また、自分の理解者がいるという自信が全ての行動において彼に「怖くない」という気持ちを与えたのではないかと、母は推察している。

息子は「Sちゃんだけが、なおちゃん(息子)をいい子にしてくれる」という。これは息子の独自表現で、翻訳すると「Sちゃんだけが自分を責めない。」ということだ。「なおちゃんあかんで!違うで!」と人並み以上に言われがちな息子にとってこれは大きな意味のあることなのだろう。

発表会の合間にホールから廊下に出たら、Sちゃんのご両親がいらした。

Sちゃんのお母さんが先に「いつもSがなおちゃんと仲良くしてもらって」という。

私は大慌てで「いえいえいえいえ、こちらこそです。仲良くしてもらってとても嬉しいんですよ。あの子は言葉の発達が遅くてお友達関係難しくて。」

Sちゃんお母さんは「そうなんですか!?いつもSはお友達と喧嘩とかして泣いていると、なおちゃんが大丈夫?って来てくれるから、なおちゃんが好き。って言うんですよ。」という。

「え?うちの子がSちゃんに??逆じゃなくて?」
「ええ、そうです。なおちゃん優しいって。」

もう、和太鼓よりびっくりした。

たったそれっぽっちのことではない。うちの子にとっては。

人の気持ちを思いやって適切な言葉をかけるとか、彼にとっては超レベルの高い社会的行動だ。

あの子、誰かに優しくされるばっかりじゃなくて、優しくできるんや。
いつの間にそんな母も知らぬ顔を持っていたのだろう。

以前私はここで、息子にはSちゃんのような人に上手に優しくできる人を見本にして、人に優しさを表現したり受け渡したりできる対人スキルを身に着けて欲しいと書いた。それがこれからの彼の人生の宿題のひとつだと思っていた。

でも、なんだ、もうそうやってしっかり幼児らしい社会参加してたんや。人の役にたってるやん。お母さんは君を見くびってたよ。

発表会が終わって保育所を出る時、門のところで子供たちを見送っていた所長先生と目が合った。

先生はニヤッと笑って無言で私に向けて親指を立てた。

Good job!!!

そう、Good job。

色んな意味でGood job!だよ。息子よ。

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