生体腎ドナーになります


夫婦で生体腎移植手術を受けるため、今日(24日)から入院しています。私はドナーとして夫へ腎臓を提供します。
夫は腎臓疾患があり、2年ほど前に主治医から透析か移植を考えるように勧められ、今後のことを考えて夫婦間での生体腎移植を選択しました。

この1年半ほどの間、移植に向けて準備しながら、私はなぜドナーになろうと思うのかをずっと考える毎日でした。
言い出したのは私だし、ドナーになることに迷いはなかったのですが、基本なんとかなるさと思ってる楽観的なタイプなので、リスクを甘く見てないか、やらなきゃよかったと後悔するのではないか、本当に大丈夫か?ということや、私は決して利他的な人間ではないので、純粋に夫のためにというわけではないのはそうなんだけどじゃあなんでだろうとか。
ぶっちゃけドナーに健康面のメリットってなくて、得られるとすれば精神的満足感だけだと思うのですが、私にとってそれはとても大事みたいです。そして夫が透析をしなくてよくなるということは、夫にとって良いことなのと同時に私にとっても良いことで、そこは分離しようがないので、だからこそ精神的満足感が得られるのだろうし、100%利他的にも利己的にもなりえないのかなという気がします。
とは言いつつも、自分が役に立つ人間だと思いたいみたいなのも確かにあって、自分の中の優生思想的なものに慄いたりもしていますが...。これについては考え続けないといけないなと思います。

移植はドナーの自発的意志かどうかをことあるごとにしつこく確認されます。精神科で心理テストも受けます。そして手術台に上がって麻酔かかる前までならやっぱり提供しませんと言うことができます。ドナーの「提供しない権利」を守るためです。
ドナーになると言うとよく「すごいね」「愛だね」という反応が返ってきますが、愛情とセットで語ることは、愛情の搾取(愛情があるならできるだろ的な)に繋がりかねないということは当事者になって知りました。
少なくとも私は愛情だけで提供するのではないし、上記の通り自分のエゴも自覚しているので、この言葉が返ってくるととてもモゾモゾしてしまいます。やめて褒めないで!w

あと当然のことながら、健康な身体にメスを入れるということが受け入れられない人もいると思います。その価値観は人それぞれで尊重されるべきことなので是非もないですが、私の身体のことは私が決めることであって、私がやりたいことなので尊重してほしいなという気持ちです。要は批判しないでほしいw
移植は、夫にとっても私にとっても当然リスクもデメリットもあるので、後悔しない保証ははっきり言って、ないです。でも、現時点での私達にとっては最善と思う選択なので、簡単にジャッジはされたくない気持ちがあります。
先輩ドナーの方に「お二人の選択を尊重します」という言葉をかけてもらったことがあるのだけど、それが私にはとても嬉しい言葉でした。

今はとにかく移植手術が無事に終わること、そしてちゃんと生着してくれるように祈るのみです。私の腎臓、夫に提供する方も残る方もどうか頑張ってくれますように……!

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